神田界隈

カメムシ騒ぎ

事務所で数人の職員が騒いでいた。8階の窓ガラスに貼りついた虫が原因らしい。 ひとりが、カメムシを見つけたのだ。しかも、ガラス戸の内側に止まっている。 「外に放り出して」と怖がる女性職員もいる。 勇敢な男性職員が、ビニール袋に虫を取り込んで、別…

本物らしいギレリスのサイン

猫のいる古レコード店では、思いがけないレコードに出会う。 ロシアのピアニスト、エミール・ギレリスの英国発売のRCA盤を買ったときもそうだった。家に戻って、さあ聞こうと思った時、ジャケットに、ボールペンのサインを見つけた。E GILELS と読…

ミドリさんに贈られたリヒテルの10吋LP

猫のいる古レコード店に行く。 神保町に少しずつ人が戻ってきているが、一本裏道となるとまだまだだ。 レコード愛好家の年寄(私もそうだが)の足が遠のいているのだそうだ。 「妻に外出を止められて、そちらへ行けない」と、常連の年配客から連絡があったそ…

危ないキノコ狩

高校時代、諏訪の寺に泊まり、キノコ採りをした思い出がある。 夏休みにその寺でひと夏過ごしていたのだが、なぜ秋に行って、友達とキノコ採りしたのか、思い出せない。ただ、いっぺんキノコ採りなるものを体験したかったことは覚えている。 入笠山の麓、富…

地の果てまで這うヒキガエル

出雲神話や万葉集に登場するヒキガエルは、「国土の隅々まで知り尽くした動物」と見られている。ちょっと、分かりにくい。 ヒキガエルは、万葉集の2首にタニグクの名称で登場する。 1)山上憶良が、家族を見捨てて暮らす男(たち)を諭す歌(巻5-800…

物知りのヒキガエル

蛙の傘(ヒキノカサ)という小さな野草は、茎が日に日に伸びている。結構逞しいかもしれない。 カエルは愛嬌があって好ましい。確か、チベット近くの岷江沿いの岸壁に、カエルの大きな絵が残っていて、この辺の少数民族が古代からカエルの信仰を持っていたと…

蛙の傘を択んだ

細に付き合って、植物園近くで開催されている「山野草の展示会」について行った。ホトトギス、ダイモンジソウ、エビネ、トリカブト、各種のノギク、スゲと、愛好家が出品した自慢の小鉢が並んでいた。 私は、モウコノギクという、モンゴルの名がついた青色の…

熊が歌った「本当になくてはならないもの」

大分前になるが、コロナ流行のさなか、英国のラジオタイムズ誌がディズニーアニメに関するアンケート調査をした。英国人に影響を与えたディズニーアニメのことが伺えて興味深かった。 「The biggest tearjerker」もっとも涙を誘った作品は「バンビ」。これは…

平鯛クッキング

魚屋で、「三重・平鯛」と書かれた店のお勧めの魚を買った。店のお兄さんが「下ろしましょうか」というので、「このままで結構。うちで三枚におろしますから」と、太った一尾を選んだ。 鱗取で鱗を取り、包丁で取り残しを探す。腹に切れ目を入れ、腸を取り、…

象のイラスト入り判子

江戸時代後期、江戸神田の粉屋に生まれた石塚豊芥子(1799-1861)は、古書の収集に精出し、山東京伝ら当時の売れっ子作家と付き合う文人だった。 文化10年(1813)年に長崎の出島に到着した象に関心を持ち、100年ほど前の享保年間に渡来した象…

首里之印、普猷の印

書棚にある伊波普猷の「古琉球」(昭和17年)を開くと、大きな印章の写真が掲載されている。 清の康熙帝からの冊使が、琉球国王に送った「琉球国王之印」。 清と琉球国間でやり取りする文書で使用するものだ。国王の尚質(1629-1668)が、康熙帝に…

昭和初めの公衆食堂のメニュー

神田橋の公衆食堂 夕食 十五銭 メニュー①薩摩汁/丼飯/青菜お浸し/大根漬物3切 薩摩汁「から味噌で、少々閉口したが、中味が貧弱だ。油あげと大根の他にもう少しなんか入れて置いて欲しい」 青菜お浸し「お浸しは結構だが、これも余りに軽少すぎる」 全体…

定着した「カチコシ」

出勤しない日は、大相撲秋場所をTV観戦して楽しんでいる。 両横綱が休場しても、休場したなりの楽しみがあるものだ。伸び盛りの下位力士(翔猿、若隆景)が活躍し、賜杯争いを面白くしている。力を抜いた怪しげな土俵も見かけない。ガチでぶつかっている関…

薬師寺東塔に登った57歳

江戸時代に、大和薬師寺の東塔の屋根に登った屋代弘賢の「金石記」を探して、アーカイブを覗いてみると、同書に合わせて松崎慊堂(こうどう)の「大和訪古録」が収録されていた。 「大和訪古録」には、屋代が屋根に登った37年後に、慊堂一行もまた東塔に登っ…

薬師寺東塔に登った屋代弘賢

相輪の伏鉢の銅板銘を確認するため、命綱をつけて寛永寺五重塔の屋根に上った浦井正明寛永寺執事長の話を前に書いたが、江戸時代寛政年間に、相輪下部の銘文を観察するために大和の薬師寺東塔の屋根に果敢に登った国学者がいた。 私は、今頃になってそのこと…

清張「断碑」へのいらだち

なんで、森本六爾について、むきになって書いているのか。自分でも考えてみた。 おそらく、森本のモデル小説「断碑」を書いた松本清張によって作られたイメージにいら立ちを覚えるからだろう。 「当時の考古学者は誰も木村卓治(森本)の言うことなど相手に…

紫の風呂敷包を持ち運んだ六爾

歴史学者であった三宅米吉は、大正8年から5年間、東京高等師範学校の学校挙げての騒ぎの渦中にいた。 同年一橋大の前身、東京高等商業学校が、いち早く中橋文相の許可で大学昇格(東京商科大)が決まったためだった。蔵前にあった高等工業高校(現東工大)…

森本六爾の颯爽デビュー

昭和2年の「研究評論 歴史教育」に掲載された東京高等師範教授中村久四郎と森本六爾の共著の広告を見てみると、 中村の肩書は「東京高師教授 史料編纂官」 森本の肩書は「東京高師歴史教室」となっている。ともに「先生」と書かれている。 三宅米吉東京高等…

四海書房と「考古学研究」

神保町のY書房で「研究評論 歴史教育」という学術誌を見つけた。昭和2年7月号と9月号で、この中に、森本六爾編輯の「考古学研究」創刊号の広告が掲載されていて、びっくりした。 坪井良平宅を編輯所として立ち上げた「考古学研究」は、「四海書房」という東…

床屋談義とネアンデルタール人の髪型

事務所を抜け出して、近所の床屋へ行く。田村隆一の夏の詩に、床屋の出てくるのがあって、伸びた髪と一緒に不眠症も刈り取る、といった一節があったような気がする。寝不足退治もかねてドアを開けた。 担当してくれるのが、3人のうち気まじめな男性店員だっ…

白秋の「群蝶の舞」

「多磨」は、白秋没後11年経って、終刊(昭和28年)となる。没後、編集人の名義は妻のキク(菊子)だが、編集担当は中村正爾、木俣修らの歌人が代わって行ったようだ。 昭和23年の1月号からは、木俣修から泉甲二に変わったのが、同号の「月報」で分かる。「…

白秋の絵と大正4年「雲母集」

北原白秋の墓は、多磨霊園にある。年2度の細の実家の墓参りで、周りの区画を歩いていて白秋の墓に出くわした。随分と大きな目立つ墓だった。 白秋は晩年、杉並・阿佐ヶ谷で暮らしていたようだ。白秋が発行していた短歌雑誌「多磨」。Y書房で手に入れた「多…

神保町散策と白秋の美術

神田神保町界隈を散策する。コロナ騒動の見舞いがてら、古本店Yに顔を出す。若きご主人は、「もう、土日は正月のようですね」という。近くの高層ビルで働く連中もテレワークで、通勤しなくなったよし。確かに人影はまばら。商売の方は?「ネット販売で凌い…

寿司作りと俳人小泉迂外

休日の朝昼は、必ず食事を作っている。大体は細に好評なのだが、パスタ、そば、うどん、ソーメンの麺類や、炒飯、オムライス、親子丼などに限られた狭いレパートリーなので壁にぶち当たってしまった。 和食に挑戦か、寿司はどうか。ネットの寿司レシピをみる…

ジャズ・アルバムの怖い顔の猫たち

神保町の猫のいるレコード店の主人からケータイに連絡があった。 「随分前に頼まれていたレコードが見つかったのですが、まだ御入用ですか」と。 「御入用も御入用。取りに行きます」と言って、事務所を抜けだして取りに行った。 猫のジャケットのジャズアル…

スピッツ犬「シロ子嬢」を読む

猫をきっかけに、長谷川如是閑(1875-1969)の文章を少しばかり読んでみると、大変変わった人物であるように思えた。 1. 人間より犬が好きだと公言し続けていたこと。 2.「断じて行わず」をモットーに、決して行動の人とならなかったこと。 一…

昭和21年「東北文学」と「第二芸術論」

神保町の古書店から買い込んだ雑誌類が読みきれない。史学の雑誌、民俗学の雑誌、俳句誌、総合誌と混ざっているので、思考があっちこっちしている。 思いがけない発見は「東北文学」の昭和21年2月発行の第2号だった。著名な文学者が多数東北に疎開しているこ…

バンビ時計バンドと「騎士団長殺し」と

事務所近くの時計店に、時計の革ベルトを交換に行く。 K時計店は、人通りの多い交差点にあり、見逃してしまいそうな狭い入口から、狭い階段を登ってゆく。2階はなく、登った先は3階になる。壁に囲まれ窓もない、なんとも、不思議な空間だ。 毎回、主人か…

梅子先生のお金のやりくり

また事務所近所の神保町の古本屋さんを通りかかると、店外の安売り本に、「人物叢書91・津田梅子」(山崎孝子著、吉川弘文館)が置いてあった。手にとって店内に入ると、若いご主人は「タイムリーな本があったので、外に出しておきました」。私が、さっそ…

猫の表紙と鼠の挿絵

猫が表紙の昭和24年3月号の「笛」は、表紙裏に、鼠の挿絵が印刷されている。茄子のような野菜を、鼠がむしゃむしゃ齧っている。 同号の表紙が猫なので、挿絵は鼠をと、版画家の関野凖一郎氏(1914-1988)に編集者が提案して注文したのだった。 …