ブログや猫本「神保町カプリッチョ」に書かせて貰った神田神保町の古レコード店の看板猫が亡くなった。 ご主人から訃報が届いた。長い闘病生活の後、土曜日の夜に主人に看取られ息を引き取った。11歳3ヶ月。猫好きの客からも、近所で働く人たちからもイッ…
「猫本」を4冊まで拵えた。出版の流通に乗らない私家本なのだが、少しは知らない人の眼にも触れて欲しいと思い立ち、前に言ったように3冊目の猫本を図書館に送ってみた。収蔵義務があるらしい国立国会図書館はともかく、京都府立図書館では審査の上収蔵され…
猫本4を届けに、久しぶりに神田神保町の猫の居る古レコード店に出かけた。 びっくりしたのは、店内のレイアウトが変わっていたこと。レコードの数が減り、片隅にあったCDの棚は撤去され、店外で安売りされているではないか。 「CDはとくにもう売れませ…
猫本の4冊目が製本所から届いた。 ひょんなことから作り始めた私家本を机に並べてみる。 だんだんカラフルな装幀になっているのが一目瞭然だ。 はじめは、大正時代に発行された長谷川巳之吉の第一書房の「野口米次郎ブックレット」を参考に、茶色の表紙カバ…
同じマンションに住む猫好きの高齢夫婦が私の留守中に、真紅の薔薇10本とモロゾフの菓子を届けに来られた。半年以上前に贈呈した猫本1、2(猫といっしょに考える1,2)のお礼だった。 薔薇は1階の庭でご主人が育てたものという見事なもので、早速玄関…
大阪の住吉大社になんだか親しみを感じている。私の好きな江戸時代の俳人大伴大江丸のせいらしい。住吉社の名物の松が枯れた時に相談を受け、大江丸は参詣客に松苗を買ってもらい植樹するためにアイディアを出した。松苗を買った参詣者に和歌、俳句、漢詩な…
いま調べ出している大正時代の彫塑家今戸精司が、猫の塑像をしばしば手掛けていたことがわかった。 大正3年に、「陶土着色猫」。 亡くなる前年同6年には、「猫の研究」と名づけた素焼7種。ともに大阪三越での「十五日会」の展覧会に出品している。 さらに…
引き続き、今戸精司という彫塑家を追ってみる。 大正時代、大阪でのモダニズムの旗手のひとりだった今戸精司は、じつは明治36年に大阪天王寺で開催された万博、第5回内国勧業博覧会に大作を出品していた。 万博は、殖産興業を旗印に政府が主催し、153…
115年前、我が事務所の近所に高村光太郎の「画廊」があった。明治43年(1910)に開業した「琅玕洞(ろうかんどう)」。神田淡路町1丁目1番地の交差点の辺りにあり、東京で評判の牛肉レストラン「中川牛肉店」の隣だった。 「弟と一緒に神田淡路町…
神田神保町の呂古書店から「これくしょん」61号(昭和17年12月)が届いていた。 森田恒友(故人になっていた)の文楽人形の頭の絵が表紙で、モノクロ版画8作品も和紙に刷られていた。 「吾八」発行なので、注文したとき大阪新町の吾八かと勘違いした。同誌は…
「日露戦争中の1904年(明治37年)5月8日、第一回戦勝祝賀会で行われた提灯行列で、東京府庁舎(現在の東京国際フォーラム)を通過した一群が馬場先門から二重橋へ向かおうとしました。ところが、馬場先門の橋を渡ったところで通行規制されたため、枡形門の…
猫のいる古レコード店や、アカシア書房を覗きに行く時、神保町の靖国通り沿いクロサワビルの前を通る。このビルにある東京メロンパンの白い壁には、赤い菱形のプレートが貼ってあり、高浜虚子が愛媛県松山から移した俳句誌「ホトトギス」の発行所の跡地がこ…
神保町の古レコード店に行って、猫に挨拶した。電気ストーブで暖をとっていた。少しやせていたが、元気なので安心した。前足を自動車事故で失ったので、外には遊びに行かない。 前の猫は、飼猫なのに夜な夜な町を徘徊していた。 店の裏口には、野良猫がご飯…
大正、昭和初期の幻の洋画家船川未乾画伯の本を作った後で、不明だった若き頃の作品が少しわかってきた。 大正7年の詩画集(園頼三)のデッサンくらいしか見つけられなかったが、その前の作品が出てきたのだ。 画伯は、未乾と名乗る前、船川貞之輔名で作品…
私家版で猫の本3作目を作った。今回は、「猫の居ぬ間に考える」と題して、大正・昭和初期の京都の洋画家船川未乾の装幀本を追いかける内容(「幻の洋画家船川未乾を求めて」)となった。 猫の出番は、「はじめに」だけで少なくなってしまった。 近所の猫好…
近所にある角の家の庭で、木槿がいま見事な花をつけている。 ひと昔前は、この木槿で垣根を作っていたらしい。 正岡子規の知人で国文学者の藤井乙男(紫影)が「木槿垣」の俳句を遺している。 三代の藪医の家や木槿垣 祖父の代から続いている医院で、秋にな…
左ひざを痛め、車いす、松葉杖の日を送ったが、杖で歩けるようになった。 近所にリハビリのマッサージに通い出したところ、2人の女性理学療法士がいうのは、「犬か猫を飼っていますか」。 ズボンに白い毛が付いていたからだった。 「猫の方を飼っています」…
以前に大正時代の学術誌の表紙デザインで、 東京の「歴史地理」と 京都の「歴史と地理」が 際立って個性的であることを書いた。 そして「歴史地理」は一時洋画家森田恒友がかかわっていたのではないかと推測し、「歴史と地理」の表紙(図上)を書いた人物は…
古本の著者検印について、しばらく書いていないが、興味深い検印紙と出くわした。「帝都復興に 努力しませう」と、大正12年9月1日に発生した関東大震災被災後に、特別に拵えた紅玉堂書店の検印紙を見つけたのだ。 同出版社の住所は、東京市日本橋区元大…
「書物」の訳編者壽岳文章(1900-1992)という人物は大した方なのであるが、前に「セルボーン博物誌」(岩波文庫、49年)の訳者として触れたことがある。 ホワイトが1767年に刊行した英国南部の動物誌「セルボーンの博物誌」の翻訳にあたって…
2冊目の猫本が出来た。 人に読んでもらいたいと思ったわけでなく、こういう本を作りたいと思ったのである。限られた部数の私家版で―。 知り合いの編集スタジオのスタッフに、長谷川巳之吉の第一書房が刊行した「野口米次郎ブックレット」を手渡し、「このサ…
北尾派の祖で、江戸時代中期に江戸の絵本を仕切っていた絵師北尾重政(1739-1820)の門下には、優秀な3人が居た。絵師としてばかりか戯作者として活躍するものもいた。 窪俊満(南陀伽紫蘭。1757-1820) 北尾政演(山東京伝。1761-…
見返り仏について探っているが、次に地蔵ついて整理してみた。 日本の中世、どうして地蔵がクローズアップされたのだろう。 どうやら日本製の経典(偽経)が大きく働いているようなのだ。 まずは、地蔵を慕う老尼の姿を追ってみる。 地藏は忙しく毎朝歩き回…
普段は公開されないが、京都東山の永観堂禅林寺に見返り阿弥陀如来像が安置されている。顔を左に向け、肩越しに視線をやっている。 「本尊みかへり阿弥陀仏は世に名高し」(「京都名勝帖」明治42年、風月堂)と、珍しい仏の姿は古くから信仰されてきたこと…
孫たちが埼玉県こども動物自然公園(東松山市)に行ってポニーに乗ってきたと喜んでいる。動物公園から坂を上った近くに岩殿観音があり、今度は一緒に寺の近くを散策したいと思う。寺の参道を下って行くと、阿弥陀堂跡に池があり、立派な板碑や石仏が並んで…
猫と僵屍を調べて行くうちに、妙な事が分かってきた。キョンシー、僵屍の考えが日本に伝わったのは、はるか昔の奈良時代。それも仏典を通してで、しかも、僵屍は、「殺人兵器」だというから、驚いてしまった。 キョンシーは「起屍鬼」と表記されて「本願薬師…
猫が死体をキョンシー(僵屍)として生き返らせる話が、中国にあることを知ったのは、劉金挙・夏晶晶「近代初頭に至るまでの日本文芸における『猫』」(札幌大学総合論叢46号、18年10月)でだった。 WEBで閲覧出来て、「確かな記録はないようである…
死体に猫が近づくと死体が起き上る下総国の話が、平岩米吉「猫の歴史と奇話」(85年、動物文学会)に記されている。 「小金の脇の栗ヶ沢村(現、千葉県東葛飾郡)という所のやもめ暮しの老女が死んだ時、土地の若者どもが戯れに三毛の大猫を捕えて死人の上…
半世紀近く前のこと。萩に仕事で向かい、乗換え駅の山陽新幹線の小倉駅で下車した。書店を見つけてこれから先の旅で読む本を買ったところ、本をくるんだブックカバーに目が行った。デザイン・伊丹十三の名前があり、新鮮な驚きを感じたことを鮮明に覚えてい…
短編なのに、最後まで読み通せない作品がある。子母澤寛(1892-1968)の「ジロの一生」(「愛猿記」=56年、文春新社)。あまりにけなげなジロという犬が悲しくて、涙で最後まで読み切れないのだ。 可愛がれていたジロだが、新米の飼犬アカに主人…