蛙の装幀

五輪女子ボクシングで金メダルを獲った日本の大学生が、「カエル」が好きだというので興味を覚えた。 長塚節「土」を調べていて、昭和16年に改版された春陽堂の単行本の表紙が「蛙」の絵に変わったのに気づいたところだった。装幀、絵は平福百穂とも縁のあ…

オダマキと枇杷

日本画の平福百穂が描いた、長塚節「土」(明治45年、春陽堂)の扉絵の、紫の花を、細に見せた。開口一番「オダマキ!」。意外な答えが返ってきた。 WEBでチェックすると、オダマキに見えないこともない。 日本に生息するオダマキは、ミヤマオダマキ、…

「土」の装幀をめぐって

長塚節「土」の復刻版を古書肆から取り寄せた。明治45年の春陽堂の箱入り菊版上製を、1984年に復刻したものだ。目に付いたのはー。 美しい装幀 色違い(代赭色)でより大きな活字で組まれた夏目漱石の序 装幀のイメージとは全く違う、延々と続く茨城の…

長塚節「土」に描かれていた猫除けの迷信

通夜に、決して猫を近づけない風習について「民族と歴史」(大正11年3月号)で知り、韓国・晋州の報告例と、日本の相模地方の類似について8年ほど前に書いた。 その後長崎県壱岐島で、似た事例があったのを「壹岐島民俗誌」(昭和9年)を読んで気付き、…

銀猫と仔犬

高山寺のことを調べていると、近所の神護寺とともに京の山中の一寺院でありながら、12-13世紀の文化発信の重要な拠点だった、と思うようになった。 結論を急がず、一歩一歩進んでいくとー。 運慶の長男湛慶が高山寺の木彫を手掛けた嘉禄元年(1225…

仔犬と童子と湛慶と

高山寺の仔犬について調べるのに、なにから手を付けていいのやら。 栂尾の高山寺は、今は京都駅からJRバスで55分ほど。簡単に行けるようになった。昔は、高雄の神護寺の先にあるこの山寺は遠かったはずである。 大正11年に鉄道省が発行した「お寺まゐ…

西行の猫と明恵の仔犬

もう7年も前、私は、西行法師が71歳の時に17歳の明恵上人と会った、と軽率に書いた。これが怪しいことが、今回の銀猫探索で分かった。 2人が会ったことは、明恵の弟子喜海が書いた「明惠上人伝記」に記されている。そこで、確かめてみた。 西行は出て…

「銀猫」探しは続く

郵便受けを覗きに出ると、本が届いていた。 川田順「西行研究録」(昭和16年10版、初版は同14年11月)。ざっと目を通すが、期待した記述はなかった。 銀猫について、あらためていきさつを以下のように書いていた。 「南都東大寺は治承四年十二月平重…

川田順の銀猫探し

彫刻家松山秀太郎氏の言葉をきっかけに、西行の銀猫探しを始めることにした。 どんな結果が待ち受けているか。期待外れの可能性もある。 同氏の書簡の確認から始めると 「西行が頼朝に貰った銀猫を門口で何の屈託もなくただちに子供に与へたと云ふのは傳説で…

西行の猫再び

西行の銀猫のエピソードについて、前に触れた。その後、この逸話は、江戸時代から画家たちの恰好の題材として扱われてきたのだと知った。 銀猫のエピソードとは、平泉に向かう途中に西行法師が、鎌倉の鶴岡八幡宮で、源頼朝と出会い、流鏑馬の故実を教えた、…

魚藤の「李白一斗酒詩百篇」

取手の川魚料理の魚藤は、地元の水墨画家の小川芋銭ばかりか、春陽会の画家たちが好んで集まるいい店だったようだ。 店での画家たちの集まりには、船頭の総元締の刀水漁郎のほか、説教節を歌う染太夫が同席することがあった。染太夫については詳しく分からな…

芋銭泊雲の書簡集に描かれた恒友

俳人西山泊雲の生家の丹波の西山酒造場が、泊雲と小川芋銭の大正5年から昭和13年の手紙のやり取りを立派な本にしていたことを知り、慌てて連絡した。「芋銭泊雲来往書簡集」。3年前の発行だったが、在庫があるというので取り寄せた。 2人の書簡には、共…

刀水漁郎と木槿の花

画家森田恒友にゆかりのある人の話を続ける。 水墨画家の小川芋銭は、自然の残る茨城県取手で暮らし、利根川の向こう岸に住む、漁師の宮文助の人柄を愛した。文助も芋銭を尊敬し、揮毫をねだって、地元の連中に配った。 芋銭の仲間の森田恒友、小杉放菴も文…

五輪騒ぎの中の恒友

画家の森田恒友が千葉医大(現千葉大)に入院したのは、昭和7年の12月。仲間たちには年が明けた正月に連絡をした。 一番で見舞いに駆けつけたのが、小杉放菴、木村荘八、中川一政の春陽会の仲間と、画廊琅玕洞の林氏(數之助か)の4人だったことが、恒友…

恒友の墓を探して

土曜日に、息子一家と墓参りに出かけた。息子の運転で、いつも通り多磨霊園から小平霊園とハシゴする。今回は、多磨霊園のなかで寄り道してもらった。 18区で細の実家の墓掃除をしてから、13区へ回ってもらったのだ。道は行き止まりが多く、やっと到着し…

神保町のネコとジネズミ

6月に入って、神保町の古書店街が店をあけたので、昼に散歩に出た。 緊急事態宣言下の5週間は、古書店が一斉休業。街は寂しいものだった。6月になって宣言は継続されたものの、緩和措置とやらで、休業解除を決めたようだった。 やっこ寿司に寄ってから、…

吉祥寺の健脚版画家

正福寺地蔵堂が掲載されていた「武蔵野1956年春号」には、東京・吉祥寺で暮らしていた版画家・織田一麿への追悼文が、考古学者後藤守一によって綴られていた。同誌の発行者の後藤が、織田に随筆を依頼に行き、豊富な話題に引き込まれた思い出や、奥多摩…

折れた板碑のたたり

東京都の国宝建築物、地蔵堂のある東村山市の正福寺境内には、秩父青石(緑泥片岩)の大きな板碑が小堂に納められている。 この板碑も、昭和2年に地蔵堂を発見した郷土史家稲村坦元、建築史家田辺泰の両氏が関わっていた。 稲村氏は当時、地元で農業を営み…

もっと知りたい正福寺地蔵堂

前回触れた東京都下、正福寺の国宝・地蔵堂について、もう少し調べてみた。 地蔵堂は1927年の「再発見」後、鎌倉の円覚寺舎利殿(国宝)とともに、「唐様(禅宗様)」の2つの代表建築とされた。 しかし、円覚寺舎利殿については、その後重大な発見があ…

曲がった牛蒡と、間違った道順

午前中、我々の事務所への電話が、かからなくなった。外に出ているスタッフから、所内のスタッフのケータイに電話があり、事務所の電話が通じないと言ってきたのだ。 確かめるため、ケータイから事務所の番号へ電話すると、「ただいま回線が混みあって、かか…

二千円札のおつり

神田の街は、緊急事態宣言で古本店がみな閉まっている。5月一杯、昼の散歩も味気ないものになる。 和菓子の老舗が開いていたので、生和菓子を買いに入った。5月の菓子のうち、あえて今回は柏餅、木の芽田楽は外し、藤、清流、岩根つつじ、落し文、卯の花、…

「おいしい暮らし」に欠かせないトマト

息子が送って来た「おいしい暮らし 北インド編」(有沢小枝、教育評論社)を、読んでいたら、俄然インドの料理を作ってみたくなった。 我が家は、孫ができる前は、ちょくちょく南インドカレーの店に行って、ケラーラ州出身のマスターのインド料理を楽しんだ…

東福寺正覚庵での若き茅舎

川端茅舎/松本たかし集(朝日文庫、85年)より 虎杖をくわえながら墓掃除していた若い修行僧の句について、思い当たることがある。 東京生まれの川端茅舎は、若き頃、度々京都の東福寺正覚庵で過ごしていた。医師への道を取りやめ、兄の川端龍子同様、絵…

春野菜こごみのおすそ分け

近所の奥さんから春野菜の「こごみ」を頂いたので、お浸しにして鰹節をかけて食べた。アクもなく、新鮮でおいしく、何本も食べた。 群馬県沼田にある奥さんの実家から大量に届いたので、おすそわけ、とのことだった。流通を通さないで得る、こうしたものが、…

コロナ自粛と虚子のコレラ句

新型コロナの蔓延もあって、夏の季語として俳句で扱われていた「コレラ」の句も、見直されているようだ。 神保町のA書房の100円本で見つけた昭和3年「虚子句集」には、「寝冷」と「冷奴」に挟まれて「コレラ」の季語が置かれ、8句が掲載されていた。 …

4月22日の夏服

日本歳事史 京都の部の見返し 最高気温が27℃というので、夏服を探して出勤する。 はやばや4月22日に衣替え。 わが事務所ではクールビズは世間並みに5月1日から。温暖化が進んでいて、春の短さを思い知らされる。 近所の神保町のA書房の100円本で見…

ウサギとスズメの山野草を択んだ

秋に山野草の会に初めて行って手に入れたヒキノカサが、めでたいほど黄色の花をつけたので、春の山野草の会の知らせに、細について、いそいそと出かけたのだった。 愛好家が出品した鉢を見て回る。伊吹山や琉球の名がついた山野草ー。私は、シコタンハコベ(…

店仕舞いの古書肆と熊楠と

4月末で店仕舞いをする本郷三丁目の古本店に、昼休みに出かけてみた。閉店割引セールのせいか、お客さんがいつもより多い。 目当ての本は、売れていた。 この前ここで見つけた画家中川一政のエッセイ「山の宿」が、大変いい文章だったので、また中川一政の…

ゴシキヒワを狙うバロッチの猫

心配事が多く、気分を変えるために休日、明るい音楽を聴いて過ごすことにした。 まずしばらく聴いていないヴィヴァルディの「フルート協奏曲作品10の3」。副題が「ゴシキヒワ」で、日本には生息しない欧州の色鮮やかな五色の鳥の賑やかな鳴き声を模した明…

古本店の店仕舞い

本郷三丁目交差点にある古本店が、店仕舞いする。地下鉄で2駅、出かけてみると、おかみさんが坐っていて、あと1年頑張るといっていたんだけど、主人の体力がもうもたないと、4月で閉めることにきめた、といわれた。コロナとは無関係で、理由は高齢による…