2023-01-01から1年間の記事一覧
猫と僵屍を調べて行くうちに、妙な事が分かってきた。キョンシー、僵屍の考えが日本に伝わったのは、はるか昔の奈良時代。それも仏典を通してで、しかも、僵屍は、「殺人兵器」だというから、驚いてしまった。 キョンシーは「起屍鬼」と表記されて「本願薬師…
猫が死体をキョンシー(僵屍)として生き返らせる話が、中国にあることを知ったのは、劉金挙・夏晶晶「近代初頭に至るまでの日本文芸における『猫』」(札幌大学総合論叢46号、18年10月)でだった。 WEBで閲覧出来て、「確かな記録はないようである…
死体に猫が近づくと死体が起き上る下総国の話が、平岩米吉「猫の歴史と奇話」(85年、動物文学会)に記されている。 「小金の脇の栗ヶ沢村(現、千葉県東葛飾郡)という所のやもめ暮しの老女が死んだ時、土地の若者どもが戯れに三毛の大猫を捕えて死人の上…
半世紀近く前のこと。萩に仕事で向かい、乗換え駅の山陽新幹線の小倉駅で下車した。書店を見つけてこれから先の旅で読む本を買ったところ、本をくるんだブックカバーに目が行った。デザイン・伊丹十三の名前があり、新鮮な驚きを感じたことを鮮明に覚えてい…
短編なのに、最後まで読み通せない作品がある。子母澤寛(1892-1968)の「ジロの一生」(「愛猿記」=56年、文春新社)。あまりにけなげなジロという犬が悲しくて、涙で最後まで読み切れないのだ。 可愛がれていたジロだが、新米の飼犬アカに主人…
モンゴル語は「母音調和」があり母音の多いことで知られるが、日本語も古代は「上代特殊仮名遣」があって、音によっては甲類乙類に別れ、母音の数も8種類あったと想定されている。日本語とモンゴル語は共通項が多いのだ。 以前、モンゴル語の音韻変化の特徴…
西行法師が鎌倉の鶴岡八幡宮で源頼朝から貰った銀製の猫をめぐって、つらつらと書いてきた。銀猫は残っていないが、同時代の中国・宋の写実主義絵画の猫をもとに作られたと推測した。さらに、時代は40年ほど下るが慶派の仏師湛慶が制作した京都栂尾・高山…
猫を通して、鳥獣戯画を見てみることにした。 高山寺に伝わる鳥獣戯画は20数種の動物が登場する絵巻4巻で、まんがの元祖といわれるように、動物(人間も)の動きが活き活きと描かれている。 また鳥獣戯画には他に伝承された模本などがあり、高山寺本は切…
前に書き散らしたことの整理を始めることにした。まずは伎楽の面のこと。 飛鳥時代に伝来したとされる「伎楽」は、笑いの要素がたっぷり詰まった舞だった。十ほどある出し物には、酔っぱらいの模写、おむつ洗いのマネ、女人にちょっかいを出し、叩きのめされ…
滋賀県は10月に安土城天主台の周辺調査を開始した。20年がかりの計画という。 安土城の大庭には蘇鉄が植えられていたと、歌舞伎、浄瑠璃「絵本太功記」(1799)に出てくるのを思い出した。織田信長は堺の寺院「妙国寺」の庭に植えられていた大蘇鉄が…
猫の諺はたくさんあるが、「タクラダ猫ノ隣アリキ」という諺があるのは、知らなかった。安土桃山時代の頃の諺として書き留められていたのだった。 藤井乙男編「諺語大辞典」(明治43年、有朋堂)を見ると、 タクラダ猫ノ隣アリキ タクラダは愚鈍なる者をい…
大伴大江丸が残した上島鬼貫の逸話は、俳諧師夏目成美の「伊丹鬼貫伝」に記されている。 伊丹の造酒家の三男鬼貫(1661-1738)は、実家が公家の近衛家の領地だったこともあり、京都の近衛家に出入りすることがあったのだという。 当時近衛家は近衛…
早朝散歩で出会った猫は、すでに瞳は針のように細く、はや正午を告げていた。ノルウエーの猫の血をひいているという。 さて、猫の目が時を告げるという「猫の目時計」に関して、江戸時代の記述で新たな例を見つけた。文化11年(1814)、雑学家の石塚豊…
猛暑のせいか、蝶々を見かけない。蝉の鳴き声も例年の蝉しぐれの迫力がない。 空梅雨と猛暑で立ち枯れた紫陽花が象徴するように、花がやられてしまったので、昆虫に影響が出ているのだろうか。家の木によく来るアオスジアゲハも今年は姿を見せない。 お盆が…
猛暑が続いているので、事務所への通勤は帽子が欠かせないようになった。それでも、首のうしろ、左右の耳にじりじりと日が当たる。 王朝時代の武官は冠とともに、冠の左右に「おいかけ(緌)」という扇のようなものを着けていた。軽いものだったようだ。あれ…
「梟をねこと(ど)りといへるは、かれか(が)頭の、猫に似たるよりいふ、と人みなおもへり」 江戸時代の国学者中島廣足の文章を前に記した。廣足はフクロウをネコドリと西国で呼ばれていることをあげつつも、名の由来はフクロウの頭が猫に似ているからでは…
猫頭巾という頭巾があるのを知った。 江戸時代に火消しが火事場で被った丈夫な頭巾だとのことだった。火の粉や熱風を防ぐためのものらしい。しかしー。 江戸時代より100年以上前の1499年に編集された俳諧連歌撰集「竹馬狂吟集」に出てくる「猫頭巾」…
通夜に猫を近づけるな、という迷信を前に書いた。相模地方、壱岐島、茨城・常総では明治、大正時代まで、猫が近づくと死体が化けて立つという迷信があり、蒲団の上に織物の道具、杼(ひ)や桛(かせ)を置いて猫を遠ざけたというものだ。 中国、朝鮮半島にも…
土日の早朝散歩を始めた。5~6時ごろに出発し、1時間ほど歩いて戻る。 小川沿いに歩き、大通りにぶつかる前にUターンする。 リードを付けて猫と散歩する壮年の男性とも出会った。猫と散歩できるのは羨ましいですなあ、と立ち話をすると、冬の寒い日も5…
有楽町駅前の横丁に「ウクライナ」というカフェがあった、と高田保(1895-1952)が書いている。 大正11年(1922年)前後らしい。ウクライナ人の主人が料理と酒を出し、ロシア革命に追われて亡命してきた白系ロシアの連中の溜まり場になってい…
私の高校時代からの知人の歯科医院まで、細は1時間近く電車に乗って歯のチェックに行った。知人は年下の奥さんと2人で治療に当たっている。「今までは妻が一人前の働き、私は高齢で半人前の働きでしたが、最近は夫婦合わせて1人前です」と話していたとい…
山野草の展示会があったので、細と覗きに行った。 前に書いたムサシアブミ(武蔵鐙)が多数出展されていたので、びっくりした。今年はムサシアブミの当たり年だったのか。 以前、出展者の男性に話を聞いたことがある。展示会にあわせて山野草を育てるのは難…
賓頭盧尊者の寿命7万年には及ばないが、9000歳生きるとされる伝説の人物が中国の東方朔。 仙界で、1果3000歳の寿命を得る仙桃を3果も盗み食いしたため、途方もない長寿を得たとされる。賓頭盧が仏界の人であるのに対して、道教の仙人のような存在…
善光寺の盗難騒ぎで、「賓頭盧(びんずる)尊者」に俄かにスポットライトが当たった。 猫や鼠のことを考えていた私は、賓頭盧さんに関係した「月の鼠」を思いだした。 「月の鼠」とは「月日が過ぎゆくこと」。 賓頭盧の説法が記された「賓頭盧説法経」がもと…
京の洒落本作家で俳人の富土卵(とみ・とらん)が「狼狽(うろたへ)散人」の筆名で書いた「花實都夜話(かじつみやこやわ)」(寛政5年=1793)で、不思議な挿絵を見つけた。 おそらく本人が描いたのだろう。やかんや庖丁、鍋、釜、擂粉木などの絵は、…
ねこの名が付いた鳥にはウミネコ(似た鳴き声からだろう)があるが、「ねことり」と呼ばれるものがあるのを、江戸時代の随筆で知った。 おそらく「ねこどり」と発音したのだろう、フクロウのことだという。 「西国にて、梟をねことりといへるは、かれか頭の…
橋本経亮をおっちょこちょいと書いたが、私の方がおっちょこちょいだった。 法隆寺の出開帳は、そうたびたび京都では行われていないのだった。伽藍修復の資金集めのために、江戸時代を通して京都は江戸とともに2度行われたにすぎない。 元禄7年(1694…
猫で有名になり、今では猫目当ての参拝客で賑わう洛西の梅宮大社であるが、江戸時代この神社には国学者の橋本経亮(1755-1805)という神官がいた。 経亮は、随筆集「橘窓自語」を著し、その中で京都三条大橋の近くにあった「ダン王」こと檀王法林寺…
江戸時代の戯作者に「なんだかしらん」という人物がいる。「南陀伽紫蘭」と表記している。 現代にも「南陀楼綾繁」(なんだろうあやしげ)という物書きがいるので、ご先祖のような名前だと興味を持っている。 紫蘭は、もともと画師として知られた窪俊満(1…
浮世絵に描かれた猫の尾を長い尾、短い尾、ボブテイルの3つに分けたが、短尾とボブテイルを一緒にして、「短尾」として括るケースが多いようだ。確かにbobtailの意味には、無尾のほか短尾も含まれている。 ただし、浮世絵で歌川国芳が好んで描いた猫の短い…