モンゴルニュースの電子版で、7月2日から7日まで台湾故宮博物院が所蔵しているチンギス・ハーン肖像画が同院で公開されると報道されていた。1278-79年に画家ホリハソンがハーンの没後に描いたのだとも記されていた。

モンゴル国の創立者として尊崇されているチンギス・ハーンだけに、台湾での公開がモンゴルでも関心事なのだと理解できたが、建国の父の歴史的な肖像画が故国にはないことをあらためて知ることとなった。
我が書室には、92年公開の映画「チンギス・ハーン」のロケを訪問した際、美術を担当していたガントルガさんが布に模写してプレゼントしてくれたチンギス・ハーン像が大事に飾ってある。この絵のオリジナル画は台湾にあるのだった。

台湾故宮博物院の英文のカタログを見てみた。81年に夫婦で台湾旅行した際に博物院に寄って購入したものが書棚にあった。80年制作のカタログにはチンギス・ハーンの写真は掲載されていないが、収蔵品としての記述があった。
「元朝の皇帝と配偶者の肖像は半身像である。2つの大きなアルバムに分けて収められている。最初のアルバムには太祖(チンギス・ハーン)、太宗(オゴタイ・ハーン)、世祖(フビライ・ハーン、在位1279-1294)、成宗(在位1295-1307)、武宗(在位1308-1311)、仁宗(在位1312-1320)、文宗(在位1330-1332)、寧宗(在位1332)の肖像画が収蔵されている。/元朝の皇后の肖像は、Shih-tsung、Shun―tsung(3作)、Wu―tsung(3作)、Jenーtsung、Yungーtsun(2作)、Ning-tsunなどである。/これらの肖像画はとりわけ写実的である。あきらかにフビライ・ハーンの肖像はモンゴルのリーダーとなった英雄の気質を捉えている。」
チンギス・ハーンではなく、元の皇帝となった孫のフビライ・ハーンの肖像に言及していた。
中国の歴代皇帝の一員であるフビライ・ハーン(世祖)らとともに、世祖のおじ(オゴタイハーン)、祖父(チンギスハーン)も中国皇帝の系譜に入れられているのだった。清代も皇帝は満州人であり、中国皇帝は漢族にかぎらない。五輪前の北京で、チンギス・ハーンの話題で中国人とやりとりした際、「チンギス・ハーンは中国の人間であり、モンゴル人でない」と言われて驚いたことを思いだした。
さらに調べると、堤一昭氏の論文「チンギス・カン画像の“興亡”」(2012)に出会った。台湾故宮博物院が所蔵する画像は、清代の乾隆帝が整備し、紫禁城南薫殿に保管されていた元朝関連の3冊のうちの2冊だった。
- ①「元朝帝像」
- ②「元朝后像」
- ③「元朝后妃太子像」
国民党が台湾に移った際、このうちの①②のみ運んだという(故宮博物院所蔵)。大陸の共産党政府は残った③だけでは帝王像、とくにチンギス・ハーン像が欠けるため、53年にモンゴル王家所蔵とされる「太祖皇帝像」を買い上げて、国家博物館に収めたという。像を比べると、似てはいるが、雰囲気がやはり違う。大陸所蔵のものは、やや険しい表情に見える。

ここで思い出すのは62年にモンゴルで発行されたチンギス・ハーン切手のことだった。政治色を消してチンギス・ハーン生誕800年行事がモンゴルで開催されたが、実質支配するソ連政府の逆鱗に触れ、多くのモンゴル人が粛清された。そのイベントの一環で発行された4種の切手の1つがチンギス・ハーンの肖像切手だった。もちろん発行停止となった。
博物院、博物館蔵の黄色の衣装ではなく、モンゴル民族の色、青色の衣装を着たチンギス・ハーンが切手には描かれている。民主化が進んだ89年に、保存してあった27年前の切手を含め1万枚を再発行して、民族の意地を見せたのだった。

91年に、首都ウランバートルで開催された切手コレクター水原明窓さんのコレクション展の記念切手にも、この肖像切手が収められている。
今日、目にしたモンゴルの電子版の記事から、いろいろと思い起こすこととなった。中露の大国の間に挟まれ、しかも物価高騰、経済悪化に直面している草原の国で、ガントルガさんはいまも元気に映画美術の仕事を続けているのだろうか、と思った。













