猫がセーターに

 寒い日は、紫のセーターを着て散歩に出る。

 茶や紺や青縞などのセーターに比べて断然あたたかい。ちょっと歩いただけで汗をかくことがある。

 

 散歩から帰って、ベッドカバーの上に脱いだままにしていたところ、猫がセーターに潜り込んでいた。

 

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 英会話の先生をしてくれていたスチュワートさんが、英国に帰国して、スコットランドのゴルフコース、セントアンドルーズで、父親とゴルフをした時、クラブで土産に買ってきてくれたセーターだ。

 全英オープンのリンクスの代表的なコースだから、観光客も多い。ティーグラウンドでは見つめられて、腕が震えて、溝(バンカーでなく、溝があるらしい)に打ち込んだと体験を語っていた。

 

 セントアンドルーズのブランドには、ビールもある、といってJRのエキナカで見つけて買ってきたというビールを一緒に飲んだこともあった。

 

 彼とは、ずっと連絡がとれないままだ。セーターを着るたびに思い出す。うちの猫も、気に入っているよ、と伝えたいがままならない。

 

テレビの猫と逃げる猫

 テレビで猫や動物が登場すると、気づいて猫が駆けつけてくる。

 

 動物と接触したいのかな、と感じて、もう一匹飼おうかとも思うこともある。

 

 テレビに映った猫に、わが家の猫はどう反応しているか。

 

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 最近は、強そうな猫が登場し、またアップで猫が画面に映し出されると、逃げてしまうことが多くなった。

 そのあと、テレビの隣の家具に飛び乗って、上から画面の猫を眺めるようになった。(アップの猫は、巨大猫と間違えるらしい)。

 

 猫は高い位置に陣取って、画面から猫が襲ってきても、逃げることができるポジションを確保しているつもりのようだ。

 

 テレビを通して、猫も猫なりに学習しているのだ。ただ、画面の猫が、本物の猫でないと、いつになったら識別できるようになるのやら。

 


 

 

小野篁と猫の子仔猫

 息子から貰った新刊本を、三連休に読み進んだ。

 

 冥界と行き来した伝説のある平安時代小野篁についてまとめた繁田信一小野篁その生涯と伝説」(教育評論社)だ。

 

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 伝えられる嵯峨天皇との「なぞなぞ」のやり取りについても、丁寧に書かれていた。

 

「子」が12個並ぶ「子子子子子子子子子子子子」を何と読むかと問われ、篁は

ねこノここねこ ししノここじし」(猫の子仔猫鹿(しし)ノ子仔鹿)

と答えたという逸話だ。

 子は、「ね」、「こ」、「し」と読めるので正解だった。(宇治拾遺物語

 

 このほか、嵯峨天皇は「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」を何と読むか謎をかけ、それもすらすらと答えたのだった。(十訓抄)

「一伏三仰」が、ポイントで、これを「月夜」と呼んで正解。当時「むきさい」と呼ばれる裏表だけのサイコロ遊びがあって、4個降って、1個が伏せて、3個が上向きになるケースを「月夜」といったという。篁は「月夜には来ぬ人待たるー」と謎を解いたのだった。

 

 繁田氏は、江戸時代まで篁が影響を与え続けたことを付け加えていた。江戸時代の寺子屋で用いられた教科書(往来物)に、「小野篁歌字尽」と、小野篁の名がついた漢字教科書があったことだ。

「後世の人々にとっては、正当な学問の神さまの菅原道真よりも、機智で嵯峨天皇を感心させた篁の方がよりふさわしいと見做したことになる」と、「頓智に通じるような機智に関してであれば、小野篁こそが、最高の権威だったのかもしれない」と書いている。

 

小野篁歌字尽」は歌で漢字を覚える学習法で、例えば、

春つばき 夏ハゑのきに 秋ひさぎ 冬ハひらぎに 同じくハきり」と歌って、

木篇に春、夏、秋、冬、同を添えた、椿、榎、楸、柊、桐の漢字を子供たちは覚えたのだという。

  この歌字尽の最古の本は寛文年間(1661-1673)のものが残っているそうだ。 

 

 蕪村の「春をしむ人や榎にかくれけり」という句を私は思い出した。

 

 桜が散り、春を惜しむ風流人が、若芽の出てきた榎の向こうに消えたといった句で、やがて夏を迎えようとする気配を、榎という漢字が醸しているように思う。

 1716年生まれの蕪村も子供の頃「春つばき 夏ハゐのき」と、寺子屋で「小野篁歌字尽」を歌っていたのかもしれない。

 

 

 

 

ヘディン本と猫

 神保町の古本屋ばかり顔を出すようになって、随分とご無沙汰している三田線沿線のとある古本店に入った。仕事で近くに寄ったのだ。

 

 高齢の夫妻は店番をしておらず、息子さんが居た。両親は変わらずに元気かと尋ねると、元気だとのこと。

 長い間飾っていた河東碧悟桐の書額がないが、と聞くと、売れましたという(残念)。

 

 結局、「ヘディン素描画集」を択んだ。丁寧に包んでくれた上に、無地の大きな紙袋を出して、詰めてくれた。

 

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 仕事を終え、家に戻って、本を袋から出してベッドの上に置いておいた。気づくと猫が、袋を見つけて潜り込んでいる。段ボールばかりか、袋も猫にとっていい玩具だ。袋の中で暴れるので、袋が移動してベッドから落ちそうになる。

 

 スウェーデン生まれの中央アジア探検家のスウェン・ヘディン(1865-1952)は、今ではナチスへの協力がクローズアップされて、私の少年時代のあこがれの探検家だった印象と随分と違ってしまった。

 

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 今回、中央アジア探検中に、時間をかけて描き込まれた彼のスケッチの一枚一枚を

見ていると、少年時代に抱いたヘディン像が戻ってくる。

 スケッチで、キルギス人の鷹匠は、左手にハヤブサを止めていた。アラブ式(日本式)の方法だ。キルギスについても、知りたいことが沢山ある。

ヒキノカサの植え替え

 ひと月前に買った、野草の蛙の傘(ひきのかさ)がすくすく育ってきたので、鉢を植え替えることにした。

 

 といっても、やり方が分からないので、細に援軍を頼んだ。

 

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 わが家になかった「鹿沼土」を買いに出て、家にある腐植土とともに、新しい鉢に入れて、植え替えた。

 買ったときの土に川砂が大量に混じっているのを発見して、細は首を傾げ、 

「シロウトがなんでこんなややこしい草を買うかなあ」とブツブツ。

 

 鉢は、細が焼いた盆栽用の黒の小鉢を使うことにした。

 

 水をたっぷりあげて、玄関の日陰に置いて様子をみる。

 

 細は「ヒキノカサ」の名が覚えられないらしく、「そのカイワレダイコン」と呼んでいる。

 

 

発光するアオサギ

 NHK「ダーウィンが来た!」(11月15日放送)で、発光する鳥を目撃した視聴者の質問に答える箇所があって、研究者に聞いたが、結局よく分からないということだった。

 ただ、それが鷺であることは、映像を見て分かった。

 

 随分前に書いた、利根川で発光するアオサギを目撃した釣りエッセイストの佐藤垢石(1888-1956)の一文を思い出した。

 

≪佐藤垢石「狸の入院」で感心したのは、利根川中流アオサギの話だ。

  学生時代から鉄砲撃ちとして知られた垢石は、地元の老人に、夜な夜な人魂がでるのは、キツネの仕業に違いないから退治してほしいと依頼された。

  垢石が幾夜もかけて見つけた暗闇の中の光は、人魂でもキツネでもなく、2羽のアオサギだった。

 

浅い水中へ長い脚を半ば入れて立ち、ときどき水中へ嘴を入れて水を含み、その嘴を胸毛のなかへ差し入れて吐くと、胸毛から水が二滴、三滴づつ、したたり落ちる。その水滴が、水面に達すると、水面がぼうと明るくなるのである」

「あとで野鳥研究家にきいた話であるが、鷺には胸毛の肌毛にやわらかい短い毛があって、その毛根から脂肪分泌し、これを水滴に注ぐと光りを発するものであるさうだ。鷺は、胸毛に水を注いではこれを水面に落とし、水面に光りを生ずるとあたりの小魚が集まってくる。そこを長い嘴で、ぱくりとやるのであるといふ」≫

 

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 ここに記された野鳥研究家の名前が知りたいところだが、発光の原因は、胸の毛根から出される脂肪だということになる。水を灌ぐと発光するというのだ。

 

 テレビでは、数羽の鳥が夜空を飛びながら、発光していた。空中で湿気を帯びて、鷺が光ったのかもしれないな、と番組を見て思った。垢石が情報の出所を明らかにしてくれていたら、もっと科学的な探求が出来るのだが、ちょっと残念である。

 

 

 

 

モーツアルトのチョコが置いてあった

 事務所への来客の手土産のチョコが、机に置かれていた。

 

 一個ずつ大そうな袋に詰められ、取り出すと箱はモーツアルト(1756-1791)の横顔。

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裏返すとしかめっ面のヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)だった。

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 箱にはドイツ語でゴールデネスウィナーヘルツと書かれていて、音楽の都ウィーンのチョコ専門店ウィナーショコラーデ ケーニッヒのものだった。提携する赤坂の店で売っているらしい。

 

 もう一つのチョコの箱には、Sisiとかかれた女性の顔が。ヨーゼフ1世の皇后エリーザベト・フォン・ヴィッテルスバッハ(1837-1898)だった。オーストリア=ハンガリー帝国の皇后となったシシィは、ハイネを尊敬し、窮屈な宮廷生活のウィーンを厭い、ハンガリーを愛したとされる女性だ。

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 61歳の時、旅行中のスイス・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者に胸を刺されて命を落とした。

 

 シシィのチョコは、少しビターかと思ったが、ともに甘く華やかな風味のヘーゼルナッツ入りミルクチョコレートだった。