2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ネコと禅僧の長い付き合い

其角の猫の五徳について、やっと、清の「淵鑑類函」を通して明の「古今譚概」にたどり着いたが、なんということはない。中国文学者の今村与志雄氏(1925-2007)が「猫談義」で、其角の猫の五徳と、馮夢龍編著「古今譚概」の猫の五徳について書いて…

其角の「猫の五徳」

宝井其角という元禄時代の俳人は、偉大な師匠松尾芭蕉に比べても、知識も豊富、世間のこともよく分かった御仁だった、と思うようになった。しかし、句は当時の事情が分からないと理解できない難点がある。 猫の句が多いのも好ましい。猫の「5つの徳」として…

バンビ時計バンドと「騎士団長殺し」と

事務所近くの時計店に、時計の革ベルトを交換に行く。 K時計店は、人通りの多い交差点にあり、見逃してしまいそうな狭い入口から、狭い階段を登ってゆく。2階はなく、登った先は3階になる。壁に囲まれ窓もない、なんとも、不思議な空間だ。 毎回、主人か…

唐山を択んだ石川淳

支那の表記で思い出したのが、作家石川淳の独特のスタンスだ。 手元に、東洋史の学者桑原隲蔵(くわばら・じつぞう、1871-1931)の著作「中國の孝道」について触れた文章(1968年)がある。(「中國の孝道」を讀む) 桑原先生が昭和二年に上梓…

新村出の「南方記」から思ったこと

神保町の三茶書房で、新村出の「南方記」を見つけ読んでいる。 明治書院から昭和18年に上梓されたものだった。戦時下の出版で、日本軍の南進を祝福しながら、専門の南方由来の日本語などの蘊蓄を披露している。新村は「広辞苑」の編著でおなじみ。 その中…

右乗りするツングース系オロチョンたち

飛行機に乗るときも、タクシーに乗るときも、自転車に乗るときも、左側から乗り込む。当たり前のように思っているが、当たり前でない。 日本は、古墳時代から馬に乗るときは、右側から乗っていた。そのことは前に触れた。(カテゴリー「右と左」を参照) モ…

和漢三才図会の鷹匠イラストについて

鷹狩りには歴史的、地域的に「左手に鷹を止める作法」と「右手に止める作法」と二流あって、個人の好みで変えられるというものではない、と記してきた。 左手が、日本、ヨーロッパ、アラブ、韓国 右手が、中国、ロシア、モンゴル、イラン(ペルシャ) その中…

読めない四股名

あまね はなかぜ てつびしょう あずまひかり しょうぶし かすがみね せいと くろかげ ほくとよし あさしんじょう わかひろと あきとば 気になる若手相撲取り 天 華吹 錣炎奨 東輝 勝武士 春日岫 星飛 黒熊 北勝伊 朝心誠 若洸闘 諒兎馬 四股名(しこな)が読…

修学院離宮と東福門院(3)

修学院離宮は当初、上の茶屋と下の茶屋しかなかったが、時代が下って、後水尾天皇と縁が深かった近くの林丘寺の半分を中の茶屋として取り込んだ。 中の茶屋には、楽只軒や客殿など見どころがある。客殿は、仙洞御所北の女院御所の奥対面所から移築したもので…

修学院離宮と東福門院(2)

上の茶屋の大刈込については、近藤富枝が小説「東福門院和子 江戸の花女御」(2000年)で丁寧に描いていた。 万治三年(1660)五月十二日、落飾し法皇となった後水尾院と東福門院が修学院離宮に始めて御幸する最後のくだりだ。 「所司代牧野親成が馬…

修学院離宮と東福門院のこと(1)

戦後京阪電気鉄道の社長を長らく務めた村岡四郎は、同社の役員時代に、同社の事業として「趣味の京阪叢書」を刊行した。太平洋戦争のさなかである。 1 中村直勝 水無瀬、山崎附近 2 大塚五郎 嵯峨野の表情 3 望月信成 宇治、醍醐 4 羽栗賢孝 琵琶湖点抄 …