バンビ時計バンドと「騎士団長殺し」と

事務所近くの時計店に、時計の革ベルトを交換に行く。

 

K時計店は、人通りの多い交差点にあり、見逃してしまいそうな狭い入口から、狭い階段を登ってゆく。2階はなく、登った先は3階になる。壁に囲まれ窓もない、なんとも、不思議な空間だ。

毎回、主人から神田界隈の昔話を聞けるので、この店に行く。

 

革ベルトは、バンビ社の時計ベルト。しか置いていない。

 

バンビ社は、なんでバンビという名をつけたのか。気にかかった。鹿の革?

いやいやバンドは牛の革だ。

ネットで調べるしかない。昭和5年、文京区の銀器喫煙具卸店が発祥で、昭和23年に株式会社に改組して台東区に移転。バンドの製作を始めたらしい。バンビに社名変更したのは、昭和38年。初代社長が「バンビ」の物語に共鳴して命名したと、社のHPに記してあった。

 

バンビは、ハンガリー・ブタベスト(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)生まれのユダヤ人作家ザルテンの作品だ。小鹿が母鹿と死別し、困難を乗り越えていく動物物語は、やがてディズニーアニメで世界に知れ渡っていった。

 

ザルテンは、ウィーンで暮していたが、「バンビ」を出版して12年後、1938年のナチスドイツがオーストリアを併合、米国に亡命を余儀なくされた。「アンシュルス」と呼ばれたナチスの統合。帝国オーストリアの崩壊であった。

 

アンシュルスといえば、村上春樹騎士団長殺し」(2017年)の大事なキーワードとして出てくる。登場するナゾの絵は、アンシュルスに反対して計画された暗殺未遂事件と関係があった。

 「騎士団長殺し」では、アンシュルスの当時の生々しい話は出てこない。

 続編や違った物語で語られるのだろうか。

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最近、米映画「グレートワルツ」(1938年)をDVDで見た。ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世をめぐる愛情を描いた暢気なストーリーだったが、よく考えると、アンシュルスの1938年にオーストリアをテーマに、フランスのデュヴィヴィエ監督がハリウッドに乗り込んで手がけた作品。何かわけがあるのではないか、と考えた。

前年フランスで「舞踏会の手帖」を撮影している名匠だ。

 

 ディヴィヴィエは、オーストリアナチスに統合されるにあたって、よき時代のオーストリアの文化とその象徴のシュトラウスを取り上げ、全米に大陸の危機を訴えかけたかったのではないか。

 結局ハリウッドは、理解しようとせずに、平凡な愛情物語のシナリオでしか受け入れようとしなかった。米国政府も孤立主義を守って緊張する欧州には不介入の立場を3年後の41年まで続けた。

 結局失敗作に終わリ、失意の監督だったとされる。だが、シュトラウスや国王を描き、オーストリアへの賛歌は描くことが出来た。また、監督はソプラノ歌手役にはポーランド出身の歌手ミリッツァ・コリウスにこだわったと伝えられる。このキャストだけは監督は譲らなかったのだという。翌1939年、ナチスドイツがポーランドを侵攻したことを考えると、起用にも深い理由があったのではなかったかと思えてくる。

 

 アンシュルスに巻き込まれたバンビは、またバンビで歴史を背負っているのではないか。左手首に時計をとめながらこんなことを思った。