天平時代のキョンシー

 猫と僵屍を調べて行くうちに、妙な事が分かってきた。キョンシー僵屍の考えが日本に伝わったのは、はるか昔の奈良時代。それも仏典を通してで、しかも、僵屍は、「殺人兵器」だというから、驚いてしまった。

 

 キョンシーは「起屍鬼」と表記されて「本願薬師経鈔」に「起屍鬼の呪法」として登場する。死体を蘇生させて操り、標的の人間を殺す呪法なのだった。

 

 法相宗六祖の一人とされる高僧の善珠(723-797)が「根本説一切有部毘奈耶」などの経典を参考に、この「本願薬師経鈔」を記したらしい(山口敦史「日本霊異記と東アジア仏教」2013年、笠間書院

 

 「日本霊異記と東アジア仏教」には、死体を生き返らせて、指名した人物を殺す呪法の方法が書かれている。

  • 墓場で新しい死体、蟻などに食われていないものを択び香水で洗浄する。
  • 死体に黄色の土を塗り、白布で包み、金の鈴2つを首に掛ける。
  • 死体の両手に刀を持たせ呪文を唱えて、「一輪」に載せると死体が起き上る。
  • 起き上った死体は呪師に「お前は私に誰を殺させるのだ」と聞く。
  • 質問に呪師が答えれば、死体は殺害を実行する。
  • 方法を間違えると呪師が殺される。

 成功した場合も、羊と芭蕉の樹木を殺すこと。それを怠れば呪師が殺される。

 なんとも物騒な経典だ。

 

 著者の善珠は、法相宗唯識学の泰斗であり、インド論理学の「因明学」の祖とされる学問僧だった。秋篠寺の開基、延暦寺根本中堂落慶の折の導師などでも知られている。出自についても入唐し法相を学んだ僧侶玄昉と藤原宮子(聖武天皇母)が密通して生まれた子供であるとか、玄昉と光明皇后の子であると、後年流言が多くの書に取りあげられている(扶桑略記元亨釈書多武峰縁起、七大寺年表)。興味深い人物だ。

 

 大仏開眼に象徴される奈良時代は、仏教興隆の時代の印象が強いが、一方では長屋王の変橘奈良麻呂の乱藤原仲麻呂の乱藤原広嗣の乱と血腥い時代であり、祟りや呪詛などに恐れた時代でもあった。

 

 仏教がもつ包含力やら多面性を(一例ではあるが)「起屍鬼」で知ると、仏教=平和の先入観が目を曇らせて、奈良時代を見誤るような気がした。

 

  それより、呪法でキョンシーの首に金の鈴を掛ける点が興味深い。猫も(飼猫だが)首に鈴をつけている。鈴を手掛かりにもう一歩前に進めないかと思う。