通夜のキョンシー説話と蚕猫

 死体に猫が近づくと死体が起き上る下総国の話が、平岩米吉「猫の歴史と奇話」(85年、動物文学会)に記されている。

「小金の脇の栗ヶ沢村(現、千葉県東葛飾郡)という所のやもめ暮しの老女が死んだ時、土地の若者どもが戯れに三毛の大猫を捕えて死人の上に置き、障りをなすかどうか試してみた。すると、不思議や死人は起き上って屏風を打ち倒し、針のような白髪を逆立て、眼光鋭くにらみつけたので、皆おどろいて逃げ出した」

 土地の若者が、通夜で猫を遺体に近づけると、死体が起き上るという迷信を、試してみたという話で、本当に老女が起き上って暴れたというものだ。

 出典は「反古風呂敷」と記されているが、「反古風呂敷」のデータが見つからず、いつの頃の話なのかはっきりしないのがもどかしい。

  

 明治、大正時代に報告された茨城、相模、壱岐に残る猫と遺体の迷信について、長い間手掛かりすらつかめなかった。

 

 やっとヒントらしきものが見えて来た。まず、遺体の猫除けに用いられた織物道具(杼、桛)と猫の関連から話を始めたい。

 

 両者が結びつくのは、江戸時代に農村で兼業として始まった養蚕である。江戸中期の養蚕専門書、野本道玄「蚕飼養法記」に、「家々に必ず能くよく猫を飼置べし」と記されていたという(近藤良子「蚕と猫と馬」岩手県立博物館だより、17年6月号)。

 蚕は鼠が大敵だった。蚕蛾が産みつけた大事な卵や幼虫、蛹を、鼠はむしゃむしゃ食べ尽くしてしまう。養蚕に大打撃を与える生物だった。

 鼠の被害を防ぐためには、やはり猫。養蚕術の必須のアイテムとして猫がクローズアップされ、養蚕指導書にも記された。

 明治以降に農家に養蚕が導入された岩手県南部、福島県の例ではあるが、猫が信仰され、地元の神社(猫淵神社という名の神社など)に猫の絵馬を奉納し、鼠除けを祈願したという。

 

 養蚕が日本の農家に伝えられた時、猫とともに遺体が立ち上がる僵屍キョンシー)の迷信も紛れ込んだのではないか、と私は考えたのだ。

 迷信で織物の道具が遺体に置かれたことも納得できると。

 

 ついで、養蚕と猫と迷信が結びつく漠然としたイメージが出て来た。

 養蚕が盛んであった中国江南地方に、猫と僵屍キョンシーの説話が広がっていたという情報だ。(続く)