2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧
諏訪流鷹匠の大塚紀子さんの「鷹匠の技とこころ 鷹狩文化と諏訪流放鷹術」(白水社)によると、日本の鷹犬は、セッターやポインターのように 猟の作法をなかなか習得できず、 特に鷹犬に一番要求されること、鷹や鷹の獲物に飛びかからずにじっとしているのが難…
暑いなか、忙しない生活を送っているけれど、合間を縫って、「鷹狩り」の探索を続けている。 「放鷹楽」について。 奏楽に、鷹狩りを表現したものがあった。村戸弥生さんの「遊戯から芸道へ:中世における芸能の変容」を読んで、「放鷹楽」の存在を知った。 …
鷹狩における鷹犬の存在。古代日本でも、鷹と犬がセットだったことを伺わせるものが残っている。 奈良時代「天平十年(738)筑後国正税帳」にこう記されている。 「貢上鷹養人参拾人・・・貢上犬壱拾五頭」。 大宰府に、税として鷹匠30人、犬15頭が献上…
前回紹介した、李重潤墓の壁画の、「臂鷹緤犬図」は、実は重要な絵のようだ。 人物を見ると、左手に鷹を止めているように見える。アラブ、日本、朝鮮流の止め方だ。中国のものでは、ほかに例がない。 李重潤墓の壁画には、鷹匠のものが他にも2点ある。2点と…
前に、サルーキというアラブの鷹犬について書いたが、サルーキ saluki が シロハヤブサ gyrfalcon に、獲物を分けてもらう興味深い動画があった。 http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=eoT9WsN39F4&NR=1 http://www.youtube.com/watch?v=tjatW…
立石鉄臣画伯は、台湾生まれの「湾生」だったが、1913年に8歳で家族とともに帰国し、東京で育った。明治学院中等部卒業後、絵の道に進む。小石川にあった川端玉章の川端画学校で日本画を学び、油絵にも関心を持ち、岸田劉生、梅原龍三郎に学んでいる。 …
立石鉄臣画伯が、1940年代台湾で用いられた天狗の版画絵を、「民俗台湾」誌に模して、発表したところまで書いた。 ちょっとかわいらしく見えるが、台湾で天狗は、邪神として人間に悪さをすると考えられた。家庭で不幸が起こると、天狗のせいとされ、タンキー…