前回紹介した、李重潤墓の壁画の、「臂鷹緤犬図」は、実は重要な絵のようだ。

人物を見ると、左手に鷹を止めているように見える。アラブ、日本、朝鮮流の止め方だ。中国のものでは、ほかに例がない。
李重潤墓の壁画には、鷹匠のものが他にも2点ある。2点とも中国、トルコ、モンゴル流の作法で、右手に止めている。
臂鷹緤犬図は、特異なケースといえそうだ。 どういうことなのだろう。鷹狩りと、鷹犬サルーキとセットで考えると、中国にもたらされたサルーキを用いた鷹狩りは、左腕に鷹を止める文化圏から持ち込まれたから、ということになろうか。当時の アラブ圏のウマイヤ朝から鷹匠とともに中国長安に持ち込まれた、と考えるのがオーソドックスだろう。
唐代より以前の、秦代の「黄犬」に戻ると、黄色にこだわると、「ターキッシュ・イエロー・ドッグ」、トルコの黄犬という絶滅した犬がいる。ハンガリーの猟犬ビズラが、トルコの黄犬と、古いハウンド種の混血とされるので、少し想像できようか。
遺跡での、犬の新資料の発見を待つしかない。日本の鷹犬はどうなのか。