イランの日本人妻とイスラム犬事情

 イランで生活する日本人女性が、アパートから娘さんと犬の散歩に出るとき、住人のイラン男性からののしられる光景がテレビで放送された。
  ぎょっとした。
  犬を飼っていることを、怒っているのだ。敬虔なイスラム教徒の、犬嫌いは半端じゃない、と思った。とくに、ムク犬のように毛が長いのが、気に障ったのでは、と想像した。
 ペルシャでの犬の扱いは、7世紀にイスラム化される前は、狼から人間、家畜を守る番犬として、大いに信頼されていた。人間が亡くなり、火葬されるまで、遺体の近くで、犬が必ず見守ったのだという。
 
 ルリスタン・ブロンズに、野生山羊とともに犬が登場するのは、プレ・イスラム時代のものだからだ。
 
 イスラム世界では、タイル、陶器と、模様は抽象。とくに宗教的な用途を持つものに、人間、動物模様は使えなかったが、例外がある。
 犬と思しきデザインが、9-10世紀のトランスオクシアナのターヒル朝、サマーン朝の陶器に現われる。
 右前脚を上げた犬が描いてあるのだ。(三上次男「ペルシャの陶器」のカラー口絵で発見)。
 そして、前に書いたように、チュルク系のセルジュク朝時代、アナトリア13世紀のタイルに右前脚を上げた犬がー。
 決して、犬嫌いばかりではなかったのだ。
 
イメージ 1
  しかし、現代トルコではー。犬は不浄、という教えにくわえ、孤高を恐れぬ狼と違い、犬は人間に媚びて誇りを失っていると、軽く見られているという(大島直政「遊牧民族の知恵-トルコの諺」)。
 村に近づく異様なものに襲いかかるトルコの番犬は、羊、人間を守るため自動車が来ても、体当たりして、車体を咬みつこうとする。そのため、車道で、忠犬が「戦死」している光景が見られたのだという。トルコ人の犬に対する評価が低いのを、大島先生もいぶかしく思っている。
   
 アラブは、鷹狩の猟犬サルーキを愛好し大事に育ててきたが、アラブ定住圏では、犬は不浄で卑しく、触れるのも忌避すると、堀内勝さんは「ラクダの文化誌」で記している。