見返り地蔵と目蓮口説

 孫たちが埼玉県こども動物自然公園東松山市)に行ってポニーに乗ってきたと喜んでいる。動物公園から坂を上った近くに岩殿観音があり、今度は一緒に寺の近くを散策したいと思う。寺の参道を下って行くと、阿弥陀堂跡に池があり、立派な板碑や石仏が並んでいる。そこに気になる地藏石像が混じっているのだ。

 

 

 錫杖を両手で持ち、頭を左にひねり、振り返る姿。初めて見た時、どきりとした。蓮台の上に龕が作られ、その中に厚肉彫りで「見返り地蔵」が作られている。石工の思いが伝わるものだった。

 野ざらしの地蔵は大概、立像でも坐像でも正面を向いている。地藏の短歌で忘れがたいのがある。

「ならざかのいしのほとけのおとがひにこさめながるるはるはきにけり」

(奈良坂の石の仏の頤に小雨流るる春は来にけり)。

 歌人会津八一は旅人として奈良を廻り、般若寺近くの地蔵立像のあごに雨が流れる様子を見、春の到来を感じたのだった。地藏はその土地に馴染み、住民、子供達を見守り、正面を見据えている存在である、ふつうは。

 

 

 どうして振り返る地藏が生まれたのだろう。岩殿観音近くを流れる都幾川、槻川の上流、小川町の龍谷薬師堂(平安末の薬師如来像を安置)にも、同様の「見返り地蔵」があることが分かった。元禄12年(1699)の銘があるという。

 離れた場所では、奈良市東大寺の末寺、五劫院に高さ2mの立派な「見返り地蔵」があった。右手の錫杖を肩に当て、右足を前に出し、左を振り向く姿。衣の裾が後ろになびいている。歩いている地蔵が、振り向く様を描いているよう。永正13年(1516)の刻銘があり、さらに古いものだった。

「見返り地蔵」という用語も見つからない。やっと、藤沢衛彦「日本民謡の流」(昭和9年、東明堂)で、盆踊りで歌われた口説節(躍口説というらしい)に「見返り地蔵」という言葉があるのを見つけた。目蓮という仏弟子が、地獄(餓鬼道)に堕ちた母を救う「目連救母」の説話。 

 

〽釈迦の御弟子の目蓮が(ドッコイ)

恒沙の川へ修行に出て(ソラヨーホイヨーホイヨーイヤセー)

見返り地蔵に逢ひました(ソラヨーホイヨーホイヨーイヤセー)

其時目蓮申すには、いかになうこれ地藏さん、私こそと申するは、母に別れて六年目、母の行方が分りません、どうぞ教へてくださんせ」

 

 見返り地蔵は、歌に出てくるほど知られる地蔵だったことになる。しかし沢山ある目蓮の口説の中で他には、「見返り地蔵」は見当たらない。またこの口説がどの地方のものであるかも記されていない。

 室町時代に生まれたらしい口説は、やがて木遣り音頭に取り入れられ、江戸時代初めの17世紀半ばには、お盆の躍(おどり)口説として各地で広まったという。

 流行時期は、小川町の元禄時代の見返り地蔵の制作年代とも重なっている。

 見返り地蔵のことはわからないことだらけ。京都・東山の永観堂の見返り阿弥陀仏をヒントにさらに考えてみた。