猫本作りに熱が入って

 2冊目の猫本が出来た。

 人に読んでもらいたいと思ったわけでなく、こういう本を作りたいと思ったのである。限られた部数の私家版で―。 

 

 知り合いの編集スタジオのスタッフに、長谷川巳之吉第一書房が刊行した「野口米次郎ブックレット」を手渡し、「このサイズ、この活字の組み方で、本作りをしたい」とお願いしたのだった。

 ブックレットは、大正14-昭和2年に作られた100頁ほどの薄手のハードカバーで、35巻まで刊行された。

 

 神保町の古書店で見つけて、サイズ、本の薄さが気にいった。軽くて持ち歩ける大きさのハードカバー。活字の組みは、1頁12行で1行33字。同じように組んでもらった。1頁最大396字なので、ゆったりと読める。

 

 

 本のサイズは今使われていない変形のものだった。できるだけ近くとお願いした。

 再現出来ないことが分かったのは製本だった。100頁ちょっとの薄い本なので、大正時代のこの本のように、本の背を丸くして綴じる技術が今はないといわれた。うーん、と唸ったが、平たい背で我慢した。紙は中質紙を探してもらった。

 最初の猫本は2023年に出来上がった。一部の人は、手に持った瞬間、変わった本作りに気づいてくれた。事務所近くの明治からの印章店の主人は「随分マニアックな本ですな」と読後の感想を述べた。

 2冊目が出来上がると、「おっ、シリーズ本なんですね」と70年代に一世を風靡した詩人は面白がってくれた。

 茶系の地味な装幀で2冊目は茶のニュアンスを少し変えて拵えてくれた。文中の小さなカラー写真をより多く使った。

 

 猫本の扉

 今の年齢になって、子供のころから本を作りたいと思っていたことが分かった。小学生の時、国鉄(JR)の切符に刻まれた各駅の鋏の形の違いを書いた小さな本を拵えたのを思い出した。中学生の時にはガリ版で「邪馬台国」の本を作りだし、途中で挫折した。数ページで書くことが尽きてしまったからだった。

 

 工作するように本を作るのが楽しいのだった。

「人間の生活に正しいものと正しからぬものがあるやうに、書物の内容にも正しいものと正しからぬものとがあり、書物の外装にも正しいものと正しからぬものとがある」昭和11年に刊行された壽岳文章の訳編「書物」には、凄いことが書かれている。

  正しくない生活を送ってきた自分なんぞは、たじろいでしまう文章だ。

「人間の生活が多くの困難に耐へねばならぬやうに、書物の生活も多くの逆境に耐へねばならぬ。即ち知る、紙葉はいつまでも強靭に、印字はいつまでも読みやすく、装幀はいつまでも崩れないところに書物の外装の正しい生活があり、この生活を統一して、つつましくはあれど裕なうるおひを与へるところに、書物の外装の正しい美しさがあることを。」

 

 私は、ささやかな「外装の正しい本作り」を手探りで始めながら、暮らしを楽しんでいる。「人間の生活の正しいもの」とやらに近づきたいとは思ってはいないが、3冊目の制作に取り掛かっている。35巻は難しいが、5巻くらいまでできあがれば、何かが見えてくる予感がするのだ。