2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
大正、昭和初期の京の洋画家船山未乾画伯装幀の本探しを続けている。 届いた「心の劇場」(大正10年=1921、内外出版)を手にして、装幀ともども本の内容にまた驚かされた。 同書は、京都帝大でロシア文学を学んだ高倉輝が、ロシア文学の戯曲、短編、…
細に誘われて先週、安行にある花と緑の振興センターに行った。早咲きの桜が満開だったが、私はまだ咲いている梅と、「春日野」(写真下)「武蔵野」「月宮殿」といった梅の和名に関心を持った。なぜ、こういう名が付いているのか。 椿も多種が植わっていて、…
日本画家の榊原紫峰は裕福な家庭に生まれたわけでなく、余裕のある生活をしていたわけではなかったが、仲間からは富裕だと見られていたと、富士正晴「榊原紫峰」で記されていた。 理由は、蓄音機とSPレコードを所有していたからだという。大正年間、確かに…
なぜ、洋画家船川未乾について調べ出したのだろう。 江戸後期の京の俳諧師西村定雅を調べていて、大正10年刊行の藤井乙男「江戸文学研究」を手にしたのがきっかけだった、と思い出した。この画家の手になる本の装幀に興味を持って、未乾画伯を少しずつ調べ…
船川未乾画伯が創元社の刊行物を集中的に装幀をした経緯を知りたくなった。 同出版社を創設した矢部良策の人生を綴った格好の著作、大谷晃一「ある出版人の肖像―矢部良策と創元社」(88年、創元社)を見つけた。 創元社は、大正14年(1925)、父・矢…
船川未乾画伯が装幀した竹内勝太郎の詩集「室内」(昭和3年=1928、創元社)を手に入れることが出来た。やはり私には新鮮なものだった。 本は、カバー表紙を欠いていたが、箔押しの表紙の迫力に驚いた。(カバーは、活字だけのデザインだった) 「常磐…
船川未乾画伯の手がかりが、すこしずつだが、つかめて来た。 詩誌「PANTHEON」の6号(昭和3年=1928=9月発行)に、画伯の静物画が7点、同8号(同11月)にもカラー版で静物画1点が掲載されていた。6号では、画伯の5ページにわたる長文…
京の日本画家榊原紫峰(1887-1971)が、詩人の竹内勝太郎と深い交友があったことを今回初めて知った。 私が、この日本画家に関心を持ったのは、カザルスのチェロ演奏をSPレコードで聴いて、感動を抑えきれず、このままの気持ちで絵画制作に打ち込…
京の大正時代の洋画家船川未乾画伯の絵を表紙に用いた古書が届いたので、また画伯について調べてみた。本は、京都の詩人竹内勝太郎(1894-1935)の「随筆西欧藝術風物記」(昭和10年、芸艸堂)。 船川未乾の装幀本をざっと調べた。 大正10年 藤…