2019-01-01から1年間の記事一覧
段ボールの荷物が届いて、空になったものを床に置いておくと、猫が抜け目なくとんできて、箱の中にちょこんと座る。自分の家にしてしまうのだ。 そんな猫の段ボールが増えてとうとう「猫屋敷」が出来て上がってしまった。 当然、年の瀬の大掃除の廃棄対象に…
クリスマスまでの期間、近所のコーヒーチェーン店で、「ふちねこ」のサービスをしている。きょうも仲間3人でランチを済ませた後、覗いた。レシート3枚で、箱に入ったふちねこを選ぶことができる。ただし、袋詰めなので、5,6種類のうちどれを選べるかわ…
昭和14年、国民党の康紹武が和平交渉のため長崎港に極秘来日したとき、出迎え役を務めたのが衆議院議員の犬養健だった。長崎から福岡に向かい、雁ノ巣飛行場から内閣が用意した飛行機で一緒に東京に飛んだ。 犬養は、この時の様子を、「飛行機が薄い霧の層…
My cat likes to watch TV , but I don't like him too close.
大正14年「改造」7月号には、谷崎潤一郎、佐藤春夫のなまなましい小説に挟まれて、犬養健(いぬかい・たける)の「兼介とその通信」という小品が掲載されていた。 英語辞書編集の孤独な作業に疲れ切った教師の主人公が、妻と5歳の長女とともに、信州の避…
総合誌「改造」を発行した改造社について、理解が足りないので、松原一枝「改造社と山本実彦」(2000年、南方新社)を手掛かりにしてみた。 大正8年(1919)に発刊された雑誌「改造」は、政治家を志望していた鹿児島・薩摩川内出身の山本実彦が、政…
長谷川如是閑にばかりとらわれていられないが、随筆集「犬猫人間」(改造社)の本の作りも変わっている。 手元に古本店から入手した大正13年の初版本があるが、表紙の題字が絵文字なのだ。函があったのかは不明だが、表紙は御覧の通りで、これだけ見たらタ…
猫をきっかけに、長谷川如是閑(1875-1969)の文章を少しばかり読んでみると、大変変わった人物であるように思えた。 1. 人間より犬が好きだと公言し続けていたこと。 2.「断じて行わず」をモットーに、決して行動の人とならなかったこと。 一…
古い雑誌に目を通していると、猫を題名にした本の広告が掲載されているので興味深い。長谷川如是閑「犬・猫・人間」(改造社、1924=大正13年5月)もそのひとつ。大正デモクラシーのジャーナリストが、どんな風に猫を描いているのか、取り寄せて読んで…
モンゴルの寺院で、音を鳴らしていた軒の風鐸の名を同行者に聞かれたとき、「ふうたく」と答えられたのはどうしてだろうかと、前に思い出を書いた時思ったが、それは、一篇の詩の記憶からだった。 「甃のうへ」(いしのうえ)という三好達治(1900-19…
ヌエ(鵺)のことで、猫と蛇に触れたが、猫を観察していると、尻尾が蛇に似ていると思うことがある。とくに、左右にクネクネと振る時。 高浜虚子の戦時下の俳句に猫の尾に触れたものがあった。 昭和18年4月25日、小石川植物園御殿「冬扇会」での披露句…
俳聖・松尾芭蕉の没後には、弟子たちの激しい対立があったようだ。猫の名がついた「不猫蛇」という書を、蕉門十哲の越智越人がものしているのを知って、どんな猫蛇だと興味を持って、のぞき読みしたところ、同じ十哲の各務支考に喧嘩を売っている内容だった…
芭蕉の元禄ごろの俳句と違って、蕪村に代表される江戸の中ごろの俳句は、同時期に生まれた雑俳、川柳なども併せて見てみないと全体像がつかめないのかもしれない。 そう思ったのは、昭和2年の雑誌「江戸時代文化」を読んでいた時。雑誌編集で出来た空白の埋…
猫の目で気になっていたことが氷解した。 午前11時45分ごろの猫の目 窓辺で秋の陽を浴びて寝転ぶ猫は、きつい表情に見える。理由は円らな筈の目の黒い瞳が縦に細くなっているからだ。光量を調節しているのだと、今では誰でもが知っている。 フランスの詩…
戦時下の文学者や芭蕉のことやらで頭が一杯になったので、ちょっと休憩。猫の本に目を通す。 英国ウエストサセックス州の街ゴリン=バイ=シーの古本店から届いた、尻尾のない猫のマンクスについての本「A DE-TAILED ACCOUNT OF MANX…
「ラグビーが今日の様に盛んとなり、運動に興味を持っている人々の話題に上り、試合の見物人も萬を以て数へるようになったことは全く驚くより外はない」 古雑誌をめくっていて、こんな文章に出会った。2019年の雑誌でない。1930年(昭和5年)「改造…
作家・日比野士朗の遺作「芭蕉再発見-人間芭蕉の人生」(新典社)を、苦心しながら読んでみた。専門的な芭蕉研究だった。しかも、芭蕉の書簡の読み解き、弟子や後世の芭蕉伝記の比較検討と、基礎的な探求を続けていた。 まえがきで「この考証を始めてからま…
しばらくサボっていたジムの帰り、玄関脇に立てかけられているチラシに目が行った。菅木志雄の名前があった。 チラシは、古典×現代2020という企画展。来年3月と開催は先だった。古典作品と現代作家とを組み合わせて展示して、両者の親和性を楽しもうと…
「東北文学」で座談会をした両作家舟橋聖一、日比野士朗との戦時下の接点が気になって、石川肇「舟橋聖一の大東亜文学共栄圏-「抵抗の文学」を問い直すー」(2018年、晃洋書房)を読んでみた。舟橋のしたたかな生き方が描かれていた。 大政翼賛会によっ…
杉森久英の「大政翼賛会前後」(88年、文芸春秋)を読んでみた。なぜ、岸田國士が大政翼賛会の文化部の部長になり、また辞めたか、知りたかったのだ。 大政翼賛会は、近衛文麿の個人的な国策研究機関「昭和研究会」を母体に、1940年に発展的に設立され…
広津和郎の「大和路」には、昭和19年の戦局悪化のころの日記が掲載されていて、これも興味深い。 1944年6月10日、海軍報道部長・栗原悦蔵大佐から招待を受けて、麻布飯倉の水交社に出かけたときの様子が詳しく書かれている。 広津のほかに、小泉信…
作家・日比野士朗の大政翼賛会のころの様子を知りたい。少しだけだが、杉森久英が「大政翼賛会前後」で触れている。愛想のいい人物で、岸田國士が大政翼賛会文化部長に就任した時、さそわれて、副部長に就任したと記している。岸田は1940年に部長になっ…
日比野士朗という作家を知りたくなって、昭和14年の作品「呉淞クリーク」を読んだ。2000年中公文庫で発行されていたのだ。呉淞はウースンと読む。 一気に読み終えた。昭和12年、上海近郊で繰り広げられた日中戦争の激戦の様子が、ルポルタージュのよ…
神保町の古書店から買い込んだ雑誌類が読みきれない。史学の雑誌、民俗学の雑誌、俳句誌、総合誌と混ざっているので、思考があっちこっちしている。 思いがけない発見は「東北文学」の昭和21年2月発行の第2号だった。著名な文学者が多数東北に疎開しているこ…
生類憐みの令の実態がいまひとつ分からないので、いくつか本を探して読んでいたところ、興味深い事実に行き当たった。 5代目将軍徳川綱吉が誕生したのは、将軍家綱の後継の発表前夜、老中の堀田正俊が幕閣を出し抜いた策略によるものだった。すでに、人事は…
江戸時代に賑わった東京・本所の羅漢堂について、阿蘭陀油絵が文化年間に展示されたことから、「見世物寺院」だと前に書いた。 木造の二重螺旋建築「さざえ堂」には、100体の観音菩薩を並べ、回遊式の東西羅漢堂には五百羅漢を据えて、歩きながら、お参り…
この夏の京都のひとコマ。JR嵯峨嵐山駅前のいのうえで夕食を取り、嵐電嵯峨駅から、京都の四条河原町に戻る時、嵯峨野の寺の副住職に 「ちょっと面白いところがありますから見て帰ってください」 といわれ、深まる夕闇の中、連いて行った。 踏切を越えて、…
芭蕉の門下に、猫や鼠の俳文や句が目立つというのは、徳川綱吉の「生類憐れみの令」と関係があるのだろうか。 芭蕉は元禄七年に没したが、弟子の蕉門十哲は、杉山杉風を除き2-30代で元禄を迎え、元禄末の17年に丈草が没したが、9人はさらに長く生きて…
前に書いた後、ほっぽらかしていた件もあって、三峯神社に参詣した。 京都の町屋で、節分の豆まきの際、「ごもっとも、ごもっとも」と周りで唱和されることと、秩父・三峯神社での節分行事に「ごもっともさま」と声をかける「ごもっとも神事」が残っているこ…
夏の終わりに秩父の温泉宿に細と泊まり、帰りに三峯神社に参詣してきた。 お犬さま、山犬さまとして、オオカミを信仰する御眷属信仰の神社なので、狛犬に代わり「大口真神」=オオカミの阿吽2体が境内を守っていた。 いくつかある大口真神の中に、「神田市…