太平洋戦争と作家

墓とニューヨークについて

「鼠」の版画を見て、版画家関野準一郎に関心を持ったと、前に書いた。その後、店仕舞いした本郷の古書店で、画伯の画文集「街道行旅」(昭和58年、美術出版社)を見つけた。勘定すると、おかみさんは「関野さん」と懐かしそうにつぶやいた。中川一政にも…

「晩夏」と2人ぼっちの寂しさ

高校時代に友人と2人、諏訪の寺でひと夏を過ごしていたので、高原の「晩夏」のさみしさは知っている。夏休暇が終るという焦りもあるが、7月に寺に来た時の、盛夏の村の様子が明らかに変わり、刺すような日差しも鈍くなり、セミの鳴き声もおとなしくなり、あ…

「欲得離れ」た日比野士朗の遺作

作家・日比野士朗の遺作「芭蕉再発見-人間芭蕉の人生」(新典社)を、苦心しながら読んでみた。専門的な芭蕉研究だった。しかも、芭蕉の書簡の読み解き、弟子や後世の芭蕉伝記の比較検討と、基礎的な探求を続けていた。 まえがきで「この考証を始めてからま…

日比野士朗と舟橋聖一

「東北文学」で座談会をした両作家舟橋聖一、日比野士朗との戦時下の接点が気になって、石川肇「舟橋聖一の大東亜文学共栄圏-「抵抗の文学」を問い直すー」(2018年、晃洋書房)を読んでみた。舟橋のしたたかな生き方が描かれていた。 大政翼賛会によっ…

大政翼賛会前後について

杉森久英の「大政翼賛会前後」(88年、文芸春秋)を読んでみた。なぜ、岸田國士が大政翼賛会の文化部の部長になり、また辞めたか、知りたかったのだ。 大政翼賛会は、近衛文麿の個人的な国策研究機関「昭和研究会」を母体に、1940年に発展的に設立され…

昭和19年、広津和郎の日記

広津和郎の「大和路」には、昭和19年の戦局悪化のころの日記が掲載されていて、これも興味深い。 1944年6月10日、海軍報道部長・栗原悦蔵大佐から招待を受けて、麻布飯倉の水交社に出かけたときの様子が詳しく書かれている。 広津のほかに、小泉信…

「大和路」に描かれた文学報国会

作家・日比野士朗の大政翼賛会のころの様子を知りたい。少しだけだが、杉森久英が「大政翼賛会前後」で触れている。愛想のいい人物で、岸田國士が大政翼賛会文化部長に就任した時、さそわれて、副部長に就任したと記している。岸田は1940年に部長になっ…

日比野士朗を読んでみる

日比野士朗という作家を知りたくなって、昭和14年の作品「呉淞クリーク」を読んだ。2000年中公文庫で発行されていたのだ。呉淞はウースンと読む。 一気に読み終えた。昭和12年、上海近郊で繰り広げられた日中戦争の激戦の様子が、ルポルタージュのよ…

なお、昭和17年の「文藝」について

昭和17年の「文藝」をやっと、目を通し終えた。 太平洋戦争開戦直後なので、人が変わったように愛国精神を主張する文学者、学者の文章が多かった。 時流に乗らない文章は、先の広津和郎のほかにー。 織田作之助の「天衣無縫」があった。 大阪を舞台に、頼…

昭和17年のキセキレイ

今年になって知り合った神保町の古本屋さんが、新たに仕入れた古雑誌を段ボールに取り置きしておいてくれた。ありがたい。 中に昭和17年「文藝」の4月号があった。前年12月真珠湾攻撃があった時節柄、巻頭は真珠湾攻撃の特殊潜航艇9勇士の特集。横光利…

真珠湾攻撃の8か月前に探察していた記者たち

今日は真珠湾攻撃の日。 古本を読んでいて興味深い箇所に行き当たった。 4人の日本人記者が、攻撃の8か月前の4月上旬に、パール・ハーバー周辺を視察していたのだ。欧州に向かいハワイに寄港した同盟通信の欧州特派員斎藤正躬氏、毎日新聞のニューヨーク…