昭和17年のキセキレイ

 今年になって知り合った神保町の古本屋さんが、新たに仕入れた古雑誌を段ボールに取り置きしておいてくれた。ありがたい。
 
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 中に昭和17年「文藝」の4月号があった。前年12月真珠湾攻撃があった時節柄、巻頭は真珠湾攻撃の特殊潜航艇9勇士の特集。横光利一、木村謹治、佐々木信綱が文章、賛歌を送っている。
 
 そんな中で、広津和郎の随想があった。「鶺鴒(せきれい)」。
 出だしはこんな風ー。
 「二月の末から三月の初めにかけての四五日ほど、毎日朝から夕方まで、ぶっ通しにではないが、時々思ひだしたやうにこつこつと窓の硝子を叩くものがある。/そんな風にして度々叩く音を聞き、度々出て行って見て誰もゐないと云う事を発見した後で、それが一羽の小鳥の所為である事が解った」。
 
 豪徳寺の自宅でのことだろう。
 
 「チチ」と声を出して逃げた尾の長い鳥の正体を見極めようと、庭から忍び足で近づくと、子供のころから親しんだ鶺鴒だと判明した。当時許されていたカスミ網で、子供時代に小鳥を取ったが、この鶺鴒だけは網にかからなかった思い出があるのだった。
 カワセミは良くかかったが、鶺鴒は、「網の直ぐ前まで飛んで行っても、網に気がついた瞬間、その長い尾で素早く舵を取ると、身体が急展開して、すうつと網の上を越えて行ってしまふ」のだという。 「網の上をすいと飛び越えて行く有様を見ると、一度どうかして捕ってやりたいといふ欲望を子供心に感じたが、どうしても捕れなかった」。
 
 広津は、さらに観察を進め、筋向いの家の塀際に立って、鶺鴒が戻るのを待った。「よその家家には目も呉れず、いきなり私の家のその硝子戸を目がけて」「嘴で硝子戸をこつこつ叩き、一二尺の間を上に行ったり下に行ったりするのである」
 訳を知りたくて、広津は窓硝子の近くに羽虫でも飛んでいるのではないかと近づいたが発見できなかった。家にはほかにも窓硝子があるが、西向きの1、2階の窓硝子しか、鶺鴒は叩かなかったが、四五日するともう鶺鴒は来なくなったという。
 
 一読後ー。鶺鴒と広津は書いているが、セグロセキレイハクセキレイなど日本に生息している内の、キセキレイだろう、と思った。
 チチという鳴き声、硝子を嘴でつつく習性からして、間違いないだろう。
 キセキレイが、自動車のミラー、鏡をつつく習性が時折話題になっている。
 鏡に映った我が姿を「敵」だと思い、嘴でつついて、威嚇するのだと解釈されている。
 広津家の西向きの硝子戸だけが、きっと鏡のようにキセキレイの姿をよく映したのだろう。
 
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 キセキレイ、GREY WAGTAILの項を「BRITISH BIRDS」で探していると、猫が邪魔しに来て、本の上に寝そべってしまった。
 
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 広津は本当にキセキレイの硝子を叩く習性の意味を知らないで書いたのだろうか。
 広津の描く、機動性のある鶺鴒の飛行術は、ゼロ戦を思わせるところがある。
 硝子に映った我が姿を敵だと思い込んで攻撃する鶺鴒は、
 あるいは、国民熱狂の中で、ひそかに広瀬が真珠湾に思い描いたイメージだったのか。
 
 一冊の古雑誌に目を通すだけで、たくさん考えさせられることがある。