日比野士朗を読んでみる

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 日比野士朗という作家を知りたくなって、昭和14年の作品「呉淞クリーク」を読んだ。2000年中公文庫で発行されていたのだ。呉淞はウースンと読む。

 一気に読み終えた。昭和12年、上海近郊で繰り広げられた日中戦争の激戦の様子が、ルポルタージュのように伝わってきた。日比野の実体験がもとになっている。同年召集を受けた日比野は、歩兵の伍長として上海近郊の総攻撃に動員された。呉淞クリークを渡って、蒋介石軍の陣地を攻略するのが使命だった。

 

 淡々とした文章で、身の周りの様子を描く。同僚への思いは強いが、愛国思想の教条的な色はほとんどない。文庫本2冊を離さない文学好きで、煙草を大量に持ち込んだ主人公は戦場でこんなことを考える。「鈍い光のなかで目をさますと、ああ今日もつつがなく俺は生きていたんだーと、しみじみおもう。私はまず胸のポケットをさぐり、ひょろりと曲ってしまった煙草を一本抜きとって火をつける。ゆらゆらうすれ行く紫色の煙を目で追いながら、銀座は今日も賑わっているだろうか、などと考えるのである」

 

 敵陣の砲撃、射撃のなか、次々に戦友が倒れてゆく。部隊長の主人公は、泥沼の中で塹壕を掘り、最前線のクリークまでたどり着く。結局、主人公も渡河の船上で銃弾を浴びてしまう。戦っている兵士は、麻布六本木の本屋の店員の石井伍長だったり、チェロ弾きの鈴木伍長だったりと、戦場に駆り出された市井の人だとさりげなく紹介している。

 

「軍の期待にそぐわないような回顧的な感傷にみちた作品である。戦記文学に要求される皇軍意識とは無縁で、時代の風潮に押し流されることはなかった」「いま読んでもそこにあるシーンとした静かさには、これが戦争中の戦記文学かと一驚を禁じえない人が多いのではあるまいか。とりも直さず、それは日比野その人のもつつよき人間性からくるものというほかはないのではないか」解説文で、作家の半藤一利が日比野を絶賛している。 

 火野葦平、上田広とともに「兵隊作家」として、戦前にもてはやされたゆえに、「戦争が終って、日比野は作家としてまったく存在を消した」と半藤。「昭和五十年九月十日日比野士朗は忘れられたまま静かに生涯を閉じた」と記している。

 

 敗戦直後の「東北文学」の編集ばかりか、日比野の文学的な営為は戦後も続いていたのだ。