「晩夏」と2人ぼっちの寂しさ

 高校時代に友人と2人、諏訪の寺でひと夏を過ごしていたので、高原の「晩夏」のさみしさは知っている。夏休暇が終るという焦りもあるが、7月に寺に来た時の、盛夏の村の様子が明らかに変わり、刺すような日差しも鈍くなり、セミの鳴き声もおとなしくなり、あれだけ生命力にあふれていた時間が去ってしまったことに、若かった我々もたじろいでしまうのだった。

 

 先ごろ手に入れた堀辰雄の「晩夏」を初めて読んでみると、全く違ったさみしさが描かれているのだった。

 

f:id:motobei:20200825122514j:plain

 

 再婚した妻と軽井沢で別荘暮らしを始めた堀の昭和15年晩夏の、野尻湖への2人の小旅行を描いたものだった。夏も終わり、軽井沢の別荘地から避暑客が去り、居残る堀は気が滅入らないように、旅行を思いついたのだった。

 

 湖面の向こうに妙高黒姫山を望む外国人の避暑地、国際村に夫婦で訪ねてゆく。ここでもドイツ人らの避暑客は去り、閉鎖間近の外国人向けホテルに飛び込みで夫婦は泊まった。ホテルマンは一人で、受付、料理、配膳と切り盛りし、客は、ほかにドイツ人の少女2人きり。

 

 夫妻は、少女たちと言葉を交わさず、あいさつもしない。散歩に出て、船宿で船の手配を頼もうとしたが、船は対岸に行ったきり。船宿の奥さんが話しかけてくるのを避け、逃げるように引きあげる。

 

 不必要な会話を夫婦は避け、第三者と距離をとっている。

 

 夫婦は、散歩と読書で時を過ごす。夫人は、女学生時代を思い出し、キャンプファイアの燃え残りを湖面に向かって投げるのを見て、堀は真似ようとするが結局止める。肺結核の再発を恐れる堀は、無理な運動を控えているのだった。堀は、鞄も人目のないところでは、夫人に持ってもらう位だった。

 

「Zweisamkeit」(ツヴァイザームカイト)というドイツ語の用語が出てくる。

「差し向かいの淋しさ」と堀は訳している。夫婦二人だけの「ふたりぼっちの淋しさ」。

 

 2人は旅で出会う人たちとの交流を閉ざしている。旅の楽しさを放棄しているように見える。作中に出てくる野鳥アオジのつがいのように、いつも2人きりで。

 

 1か月後には近衛内閣を支えるべく作家を含む文化人たちが結集する大政翼賛会が設立され、11月には東京・日比谷公会堂北原白秋が作詞し、信時潔が作曲した皇紀2600年を讃える「海道東征」の演奏会が開かれる。夫婦は、東京の喧騒からも、中国での戦火からも遠く離れた軽井沢での暮らしを選んでいた。

 

 この小品全編を覆っているツヴァイザームカイトで、堀はこれから続く厄介な時代に迎合することなく、なんとか乗り越えたのだった。

 

 甲鳥書林は、こんな堀を金銭的に支援している。昭和17年、川端康成「高原」(甲鳥書林)の装幀料を支払い、堀を驚かせた。昭和19年、未完だった「曠野」の堀からの印税前払いの願いに応えた。同年甲鳥書林は「養徳社」に整理統合されたが、養徳社の社長となった中市弘は、養徳社から「曠野」を出版して約束を守った。さらに、昭和20年3月に、堀からの500円の前借り依頼に応じている。

 

f:id:motobei:20200829155108j:plain 「高原」の装幀に堀の名が

 

 堀は1953年、48歳まで生き、多恵夫人は軽井沢で2010年天寿を全うした。96歳だった。