賓頭盧さまと月の鼠

 善光寺の盗難騒ぎで、「賓頭盧(びんずる)尊者」に俄かにスポットライトが当たった。

 猫や鼠のことを考えていた私は、賓頭盧さんに関係した「月の鼠」を思いだした。

 

「月の鼠」とは「月日が過ぎゆくこと」。

 

 賓頭盧の説法が記された「賓頭盧説法経」がもとになって生まれた言葉とされる。

 

 お経に出てくるのは、人が曠野で悪い大象に追われ、丘の上に逃げ、樹の根にぶら下って井戸に隠れるという話。井戸の上は四方に毒蛇が居て出られない。頼る樹木も、白と黒の鼠が根を齧っている。

 

 賓頭盧尊者は、象は無常、毒蛇は地水火風のこと。井戸とは人身を、樹根は人命を喩えていると説いた。根を齧る白黒の鼠とは、昼と夜の鼠、つまり命を削る《時の経過》だというのだった。

 

 平安朝の終わり頃、歌人源俊頼は、こんな歌を作った。

わがたのむ草の根をはむねずみぞと思へば月のうらめしきかな

 (我が頼む草の根を食む鼠ぞと思へば月の恨めしき哉)

 

 樹の根は、草の根に変わっているが、命を齧る鼠として月を眺め、恨めしく思っているのだった。

 

 江戸時代、芭蕉十哲の俳人向井去来は、鼠尽くしの俳文「鼠の賦」をものし、こんな風に俊頼の歌を紹介した。「草の根を食む月の鼠は俊成卿のうらみなりけり」(俊成ではなく俊頼だが)。

 

 賓頭盧尊者の鼠は、古く万葉集山上憶良の日本挽歌にも出てくるのだった。

 夫人を亡くした大伴旅人に捧げた長歌の序にあるのは、「三千世界、誰か能く黒闇の捜り来たるを逃れむ。二鼠競ひ走りて、目を度る烏旦に飛び、四つの蛇争ひ侵して 隙を過ぐる駒夕に走る」

 二鼠とは、日の鼠、月の鼠。「四つの蛇」も出てくるではないか。

 

 賓頭盧尊者は、仏陀十大弟子で、とくに神通力に優れていた。雑阿含経によると、この神通力を用いて、手を抜き悪戯をし、釈迦に叱られたという。「罰としてお前は決して永久に涅槃を取ってはならぬ。永くその身でいて、人天の為に供養をなし、世の中の大福田とならねばならね」と。

 そのため、「浮世にいて人間の病を医したり、語黙不動の中で、大法を説教したりして」いるのである。「なんでも人寿七万歳に及ぶと、その罰が許されて、御経を誦し、舎利塔の周を繞って、入涅槃するのだそうである」(醍醐恵端「新釈佛様の戸籍調べ」昭和31年、錦正社)。

 7万歳まで生き続け、衆生に頭や顔を撫でられて原形を失い、またコロナ時は接触禁止で金網をかけられ、コロナが落ち着けば落ち着いたで、攫われてしまう。

 時には地の鼠に齧られることもあろうが、7万年、つまり7万×365=2555万日、月の鼠にかじられ続けるのだった。

 ああ、賓頭盧尊者にもっと理解を。