京の洒落本作家で俳人の富土卵(とみ・とらん)が「狼狽(うろたへ)散人」の筆名で書いた「花實都夜話(かじつみやこやわ)」(寛政5年=1793)で、不思議な挿絵を見つけた。
おそらく本人が描いたのだろう。やかんや庖丁、鍋、釜、擂粉木などの絵は、物語にそっているが、僧侶の列を眺める猫は、よく見ると鼠の顔をしている。きっと訳があるのだろうが、残念ながら分からない。
土卵は、今ではほとんど滅びかかっている言葉遊びの「連連呼」を考案した人物だ、と中野三敏氏が掘り起こしていた。(「和本の海へ:豊饒の江戸文化」角川選書、2009年)
前句の言いかけに、言葉を連ねて答える遊びで、
「御ふくろの笑ひ上手は ・・・ はゝはゝの母」
「金銀の為に命を失ふは ・・・ よくよくの欲」
といった具合。受け句で言葉を重ねるのが約束事になっている。土卵はこれを考案し、前句を「端作り」、後句を「つらよばひ」などと大仰に命名して楽しんでいる。
中野氏の文章に出てくる昭和9年の今西吉雄「今昔流行唄物語」(東光書院)を探して、目を通した。
「言葉の戯れは連々呼を以て、最も高い所に登りつめたと見て好い」と評価していた。
ただ、作るのは難しく「文化の頃に行なわれたもので『連々呼式』と名付ける小冊子も出たけれど、さのみ流行を見ることなくして、衰へてしまった」。
さらに今西氏は昭和9年現在「存在さへ知られてゐない有様」と記している。文中、上記の「よくよくの欲」のほか、次のような作品を紹介していた。
「阿蘭陀蟲眼鏡は ・・・ ありありの蟻」
「宝来(蓬莱)の三方は ・・・ だいだいの台」
「佐野のわたりの夕暮は ・・・ ゆきゆきの雪」
作るのが難しいというが、ちょっとやってみると、
「雨中の野球の応援は ・・・ フレフレのフレー」。
富土卵がハヤタカを用いる「鷹飼渡」の儀式を伝える「富家」の養子なので、
「ハヤタカも海東青(シロハヤブサ)に比ぶれば ・・・ たかだかの鷹たかだかの鷹」
などと出てきた。そんなに難解ではない。
ただ、さほど面白くはないので、現状は空振りに終わっている土卵の言葉遊びを、再興させるのは、ちと難しそうだ。
ただ、富土卵という人物は不思議で面白い。「鼠猫」の訳は解けるか自信がない。