猫の名の起源はフクロウだと言った国学者

 ねこの名が付いた鳥にはウミネコ(似た鳴き声からだろう)があるが、「ねことり」と呼ばれるものがあるのを、江戸時代の随筆で知った。

 おそらく「ねこどり」と発音したのだろう、フクロウのことだという。

西国にて、梟をねことりといへるは、かれか頭の、猫に似たるよりいふ、と人みなおもへり

 フクロウの頭が猫に似ているから「ねことり」の名が付いたと皆思っているようだ、確かに明代の「五雑俎」に、「猫頭鳥即梟也」とあるから中国ではそうだったろう、しかし日本では違うのではないか。

 熊本藩国学者歌人の中島廣足(1792-1864)は「橿園随筆(かしぞのずいひつ)」(嘉永4年=1851刊行)でそう主張しているのだった。

 



 珍説を紹介する前に、「ねことり」をもう少し調べると、「物類称呼」(越谷吾山)に「ふくろう〇常陸国にて〇ねこ鳥と称す」とあり、西国ばかりか今の茨城県辺りでも用いられていたことが分かる。(吾山は「この鳥よく鼠を取によりてかくなづくるにや」と、梟は猫のようにネズミを捕るためかと由来を推測している。)

 

 廣足は、「皇国にてねことりといふは、萬葉におほくよめる、ぬえことり、という名のつまりたるを、此鳥に、もてつけていふにやあらむ。」と新説を打ち出している。

「ぬえ」が約まって「ね」となったので、日本で萬葉時代に「ぬえことり」と言っていたのが「ねことり」になったというのだ。

 

「ぬえ」は鵺と表記され、現代ではトラツグミが有力とされるが、廣足は「其鳥は梟の類なる事、冠字考にくはしくいはれたるか如し」とフクロウであると主張する。(冠字考は画史冠字類考らしい)

 

 廣足の考えは、さらに、猫の名の起源に及んでいく。

 通説では、猫は、ねずみのネ/よく寝るのネから「ネコ」となった、あるいは、「ねうねう~」と鳴くからネコなどと言われる。

 また、平安時代の「本草和名」などには、猫のほか「ねこま」の和名が記されていることから、鼠が畏れるから「ね・こま」となった、というのもある。

 

 廣足は萬葉には出てこない「猫」より、「ぬえことり(鵺子鳥)」の方が先に付いた名であり、その後、猫がフクロウに似ているので「ぬえこ」→「ねこ」になったと考えたのだった。猫はフクロウの古名の鵺子鳥から派生したと。

ぬえ鳥は、神代巻の御歌より見えて、いともふるければ、此名そもとなるへき」。

 

 中島廣足という人は、文政6年(1826)、「西洋翻訳の嚆矢」とされるドイツ詩の翻訳詩を手掛けた人物でもあった。長崎で学んでいた時、通詞猪俣久蔭から依頼を受け、マーティアス・クラオディウス(1740-1815)の「五月の歌(Mailied)」を「やよひの歌」として訳詞したのだった。(石本岩根「中島廣足訳『やよひの歌』について」=「比較文学」1963年6巻)

 

「あはれいかに、かくおもしろき、あはれいかに、かくおもしろき、名にしおふ、春のやよひは、いろいろの、を草もえ出(いで)、さまざまの、花もさきそひ、木々はみな、若葉さしつつ、のどかなる、風吹きわたり、あげまきの、うたふ末野の、ひつじさへ、たかくなくなり、あはれいかに、かくおもしろき、あはれいかに、かくおもしろき、春のやよひは」

 タイトルの変更については「五月の歌なれど、かしこの五月はここのやよひなればかくしるす」と、五月から三月への置き換えを説明している。明治の新体詩のような調べ。江戸時代のものとは思えない。

 

「ぬえこ鳥→ねこ鳥→ねこ」説に戻ると、名称に関しては猫の母体が「フクロウ」になることになる。フクロウが猫のおふくろさんというわけだ。 

 万葉集を研究した歌人の成果が、長歌と融合した翻訳詩を生み、また万葉の鵺子鳥から類推した猫の珍説を生み出したのだった。