近所にある角の家の庭で、木槿がいま見事な花をつけている。
ひと昔前は、この木槿で垣根を作っていたらしい。
正岡子規の知人で国文学者の藤井乙男(紫影)が「木槿垣」の俳句を遺している。
三代の藪医の家や木槿垣
祖父の代から続いている医院で、秋になって木槿の垣根が一斉に花を咲かせている光景を句にしている。三代続けて藪医者の評判であるところが面白い。
医院が木槿垣を作っているということは、木槿は薬草なのだろうか?
調べてみると、
樹皮=抗菌効果のある漢方薬「川槿皮」
花=下痢、嘔吐に効能がある漢方「木槿花」
果実も、頭痛、咳の薬になり、葉や根は腫物の薬になるのだった。
全体が薬であるかのような効能が書かれていた。
道のべのむくげは馬にくはれけり
よく知られる芭蕉の木槿の句があるが、木槿の花は馬にとっては毒ではないかと、芭蕉の句に注文を付けた文学者がいた記憶がある。干した花が人には薬でも、生の花は馬に毒なのだろうか。そもそも文学者の勘違いなのか。
藤井の句の医者は三代続きの藪医者だというから、祖父の代は江戸の末あたり。木槿を植え始めたのは、漢方薬を作るためだったのだろうか。
「木槿垣」でもっとも知られている句は、元禄時代に編まれた「卯辰集」に収録された女流俳人不中のものだろう。
咲つづけ其の家わすれじむくげ垣
毎年秋になると咲き続けている木槿垣。その垣根の家を忘れまい、と句にしている。なかなかの句だと思うが、なぜその家を忘れないのか、よく分からないところを残している。嫁となって家を出た女性の、長年住んだ実家を思い浮かべたものなのか、よく分からないが、その垣根のある実家も医家だったのか。
通勤途中にその家の角を曲がったおかげで、そんなことを思った。