「不猫蛇」ってなにか

 俳聖・松尾芭蕉の没後には、弟子たちの激しい対立があったようだ。猫の名がついた「不猫蛇」という書を、蕉門十哲越智越人がものしているのを知って、どんな猫蛇だと興味を持って、のぞき読みしたところ、同じ十哲の各務支考に喧嘩を売っている内容だった。

 

 死んだ芭蕉を利用してあくどい商売している、と越人が支考を罵っているのだった。例えば、支考が京都に芭蕉の石碑と墓を新たに作ったこと。《芭蕉の遺骨を納めた塚が、近江の義仲寺に有るのに、そこから三里しか隔たっていない京都の松本に石碑を建て、塚を築くのは、人を騙して金を取る詐欺行為だ》。

 

 京都松本は、東山区の雙林寺だろうか、支考はこの寺内に、「墨直しの碑」を建てた。芭蕉の書を石碑にしたもので、毎年芭蕉追善会で、この碑文の文字に墨を入れ直すイベントを行ったのだった。

 このアイディアは、当時の芭蕉ファンを引き付けて成功し、支考の美濃派は拡大していったのだという。師匠の書をだしにして、自分たちの勢力拡大に使う、それは、商売人のすることで、俳人のすることか、と9歳年上の越人がキレたようだ。

 

 越人いわく、支考が弟子たちに伝えている蕉風の内容も出鱈目である。

其角嵐雪、田舎にては杜国越人などを置て、恐らくは芭蕉の当流建立の趣意、汝等如き者どもの知る事にてなし」「芭蕉に十年二十年随身したる不届者なり

 江戸の宝井其角服部嵐雪尾張蕉門の坪井杜国、越智越人ならともかく、ただ、芭蕉にすり寄って10年20年過ごした不届者のお前らに、芭蕉の教えが分かるものか。

 

 そういった、支考に対する罵りの極みが「不猫蛇」だった。フミョウジャと呼ぶ。「頼政が射侍りけん鵺の如く、猫にもあらず蛇にもあらず」「猫でもなく、蛇でもなく成、猶妄言妄説に人を欺く事不便成

  猫でもなく、蛇でもない正体不明の、鵺(ぬえ)、妖怪だというのだ。

 

 しかし、平家物語に出てくる源頼政が射た鵺は、頭=猿、胴=狸、手足=虎、尾=蛇のキメラである。源平盛衰記では、鵺は、背=虎、足=狸、尾=狐。

  この2書には、蛇は出てくるが、猫は出てこない。虎か狸が、猫になってしまったのだった。そのせいか、われらが、妖怪漫画の水木しげる氏が描くヌエは「胴はニワトリ、頭がネコ」になっている。

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 鵺を「不猫蛇」というのは、猫としては不名誉な命名ではないか、と猫に変わって蕉門十哲の一人に、文句を言いたくなる。

 それにしても、美濃派と尾張蕉門と隣国同士の弟子たちが、芭蕉没後に喧嘩し、ファンを奪いあいするほど、芭蕉が当時の人たちの人気者だったことが分かる。