如是閑の猫たち

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 古い雑誌に目を通していると、猫を題名にした本の広告が掲載されているので興味深い。長谷川如是閑「犬・猫・人間」(改造社、1924=大正13年5月)もそのひとつ。大正デモクラシーのジャーナリストが、どんな風に猫を描いているのか、取り寄せて読んでみた。

 

 はしがきには「犬と猫と人間と家に関する漫録である」と書いてある。

 冒頭作が「ピョートルの猫と私の猫」。

 ロシア人のラテン語の教師が子猫に、鼠の取り方を教育しようとして、まんまと失敗するアントン・チエーホフ(1860-1904)の短編「誰のせいだろう(Who was to blame?)」を前にふり、同様の失敗をした自分の体験をつづっている。

 

 その本筋より、如是閑が飼っていた猫たちが興味深かった。この随筆に出てくる長谷川家の猫は3匹。

 

 ミケ 名からして三毛猫だったのだろう。電光石火、鼠を捕る雌猫。数年前に飼い、書斎に鼠が出ると、ミケを呼んだ。すかさず本棚の下で鼠を追い出そうとし、「鼠がチラと本棚の中段の三、四尺の高さのところに姿を現わしたかと思うと、ミケはもうその鼠をくわえていた」早技の持ち主。

 

 白  白猫。飼犬のセッターのダンと仲良し。「ダンの尾にからまったり、背に乗ったり」して遊んだ。食物も自分のを食べず、犬の食物を食べに行くほどで、犬も白が食べ終わるまで涎を垂らしながら、じっと待っていたという。ダンの死後は小屋に行って、帰りを待っているように座っていた。隣家のアカという犬とも遊んだ。アカが電車にひかれ後足2本を失った後も、じゃれていたが、アカが引っ越した後、亡くなった。

 

 茶目 白猫。勤務先の神田鎌倉町(内神田2丁目)の我等社に、紛れ込んだ雌ののら猫の子供。我等社の間借り先の政経社(「日本及日本人」の本社)の社員が面倒を見ていて、ミカン箱の中で無事3匹の子を産んだ。1匹は、近所のそば屋の店員、1匹は社員が貰いうけ、他の一匹は如是閑が引き取った。(母猫は別の社員が引き取った)

 

 如是閑は、ミケの記憶もあり、ロシアのピョートル先生のように、この子猫に鼠捕りを仕込もうとする。鼠捕りで鼠を捕まえ、逃げ場のない場所で鼠と猫の茶目を放つ。茶目は鼠に翻弄され続け、追いつけない。2、3時間放置してから覗いてみると、「茶目と鼠とが、廊下の片端で、互いに一尺ほどを隔て、同じ姿勢で向い合って坐っている、まるで、人間が何故に猫と鼠とをかように一室に幽閉したのであるかを論じあってでもいたという工合である」。如是閑はさらに、調教を試みるが、ついに断念する。

 

f:id:motobei:20191119133538j:plain   猫教育は困難なり

 

 関東大震災の翌年の作品で、のら猫の子で、そば屋が引き取った猫は、「この震災で死んだろうが」と記している。そば屋も焼けたのだろう。

 

 大阪朝日新聞の社会部長だった長谷川は、1918年「白虹事件」で、退社を余儀なくされ、東京で自ら我等社(「我等」を発行)を立ち上げた。その当時の猫のエピソード。