正午前の猫の目時計

 猫の目で気になっていたことが氷解した。 

f:id:motobei:20191103123908j:plain 午前11時45分ごろの猫の目

 

 窓辺で秋の陽を浴びて寝転ぶ猫は、きつい表情に見える。理由は円らな筈の目の黒い瞳が縦に細くなっているからだ。光量を調節しているのだと、今では誰でもが知っている。

 

 フランスの詩人ボードレールの「巴里の憂愁」に「時計」というのがあって、猫の目時計を書いている。

 「中国人は猫の目のうちに時間を読む。/一日、南京城外を散策しつつ、懐中時計を忘れたのに気づいた宣教師が、とある少年に時間を尋ねた。/頑是ない中華の少年は、一瞬躊躇ってゐたが、また思ひ直した様子で、かう答へた。「只今お返辞いたしませう。」そして間もなく、大きな逞ましい猫を両腕に抱いて、再び現れた。そして人の云ふやうに、その白眼を見ながら、逡巡する景色もなく、きっぱりとかう告げた、『もうすぐ正午でせう。』それは合ってゐた」(三好達治訳、昭和26年、新潮文庫

 

 鶴ケ谷真一「猫の目に時間を読む」(2001年、白水社)を読んで、猫の目時計について多くの事が解った。研究者たちは、ボードレールが参考にした中国のこの一節が、レジス・エヴァリスト・ユック神父(1813-1860)の旅行記「中国帝国」によるものであることを突き止めていた。南京城外でなく、「南昌郊外」だったと、ボードレールの勘違いも明らかになった。

 神父は、少年の技能に驚き、到着したキリスト教徒の家で詳しく尋ねると、近所の猫3、4匹を連れてきて、神父に、猫の目が正午に近づくにつれて細くなり、正午になると縦一直線、その後はまた太くなると説明したという。

 日本でも江戸時代に猫の目の時計は広まり、「猫の目のまだ昼過ぬ春日かな」元禄12年上島鬼貫が句にしている、と書いてある。鶴ケ谷氏のすごいところは、猫科の動物の目は同じ働きをするとの江戸の学者梅川夏北の説を確かめに、上野動物園に虎の目を確かめに行くところだ。トラの目を見つめて、トラやライオンは、光が強くなると、猫とは違って丸型のまま瞳孔が縮小することを知る。
 
 ほかにも、たくさん興味深いことが書かれているが、前に触れた、牡丹と猫の取り合せの画題について新説を打ち出していた。猫の音が「命」と同じで長寿をさし、「富貴花」と呼ばれる牡丹とともに、縁起がいいためだと解釈されてきた。
 
 鶴ケ谷氏は、正午の咲き誇る牡丹を描くのに、「正午」だと解らせるために、猫の目時計を描いたのが始まりでないかと閃いたようだ。唐の時代に画家が、正午の牡丹を描いてほしいという注文を受け、考え抜いた末猫を添えて、糸のように細い目を描いたという話(洛陽牡丹記)を根拠にしている。

正午の牡丹のかたわらに目を線にした猫を描いた例の絵が、牡丹に猫を配した吉祥図の濫觴になったかもしれないという可能性を想像してみるのもおもしろい

 

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 18世紀の妻沼聖天の彫刻(国宝)でも、牡丹や蝶と取り合せの猫の目は、御覧のとおり正午を告げているではないか。