2019-01-01から1年間の記事一覧

ネコと禅僧の長い付き合い

其角の猫の五徳について、やっと、清の「淵鑑類函」を通して明の「古今譚概」にたどり着いたが、なんということはない。中国文学者の今村与志雄氏(1925-2007)が「猫談義」で、其角の猫の五徳と、馮夢龍編著「古今譚概」の猫の五徳について書いて…

其角の「猫の五徳」

宝井其角という元禄時代の俳人は、偉大な師匠松尾芭蕉に比べても、知識も豊富、世間のこともよく分かった御仁だった、と思うようになった。しかし、句は当時の事情が分からないと理解できない難点がある。 猫の句が多いのも好ましい。猫の「5つの徳」として…

バンビ時計バンドと「騎士団長殺し」と

事務所近くの時計店に、時計の革ベルトを交換に行く。 K時計店は、人通りの多い交差点にあり、見逃してしまいそうな狭い入口から、狭い階段を登ってゆく。2階はなく、登った先は3階になる。壁に囲まれ窓もない、なんとも、不思議な空間だ。 毎回、主人か…

唐山を択んだ石川淳

支那の表記で思い出したのが、作家石川淳の独特のスタンスだ。 手元に、東洋史の学者桑原隲蔵(くわばら・じつぞう、1871-1931)の著作「中國の孝道」について触れた文章(1968年)がある。(「中國の孝道」を讀む) 桑原先生が昭和二年に上梓…

新村出の「南方記」から思ったこと

神保町の三茶書房で、新村出の「南方記」を見つけ読んでいる。 明治書院から昭和18年に上梓されたものだった。戦時下の出版で、日本軍の南進を祝福しながら、専門の南方由来の日本語などの蘊蓄を披露している。新村は「広辞苑」の編著でおなじみ。 その中…

右乗りするツングース系オロチョンたち

飛行機に乗るときも、タクシーに乗るときも、自転車に乗るときも、左側から乗り込む。当たり前のように思っているが、当たり前でない。 日本は、古墳時代から馬に乗るときは、右側から乗っていた。そのことは前に触れた。(カテゴリー「右と左」を参照) モ…

和漢三才図会の鷹匠イラストについて

鷹狩りには歴史的、地域的に「左手に鷹を止める作法」と「右手に止める作法」と二流あって、個人の好みで変えられるというものではない、と記してきた。 左手が、日本、ヨーロッパ、アラブ、韓国 右手が、中国、ロシア、モンゴル、イラン(ペルシャ) その中…

読めない四股名

あまね はなかぜ てつびしょう あずまひかり しょうぶし かすがみね せいと くろかげ ほくとよし あさしんじょう わかひろと あきとば 気になる若手相撲取り 天 華吹 錣炎奨 東輝 勝武士 春日岫 星飛 黒熊 北勝伊 朝心誠 若洸闘 諒兎馬 四股名(しこな)が読…

修学院離宮と東福門院(3)

修学院離宮は当初、上の茶屋と下の茶屋しかなかったが、時代が下って、後水尾天皇と縁が深かった近くの林丘寺の半分を中の茶屋として取り込んだ。 中の茶屋には、楽只軒や客殿など見どころがある。客殿は、仙洞御所北の女院御所の奥対面所から移築したもので…

修学院離宮と東福門院(2)

上の茶屋の大刈込については、近藤富枝が小説「東福門院和子 江戸の花女御」(2000年)で丁寧に描いていた。 万治三年(1660)五月十二日、落飾し法皇となった後水尾院と東福門院が修学院離宮に始めて御幸する最後のくだりだ。 「所司代牧野親成が馬…

修学院離宮と東福門院のこと(1)

戦後京阪電気鉄道の社長を長らく務めた村岡四郎は、同社の役員時代に、同社の事業として「趣味の京阪叢書」を刊行した。太平洋戦争のさなかである。 1 中村直勝 水無瀬、山崎附近 2 大塚五郎 嵯峨野の表情 3 望月信成 宇治、醍醐 4 羽栗賢孝 琵琶湖点抄 …

2019京都の夏に見つけた動物

河原町にとった安宿で目を覚まし、朝6時前、鴨川を散策した。徹夜組の外国人の若者が四条大橋に溢れていた。若者の熱気を敬遠して、対岸に渡り、川の流れを見ていると、一羽のサギがこっちにやってきた。 丁度、足場になるコンクリートが水面から顔を出して…

英国のハヤブサのドキュメンタリーを猫と見る

数日前に先輩からメールがあって、Eテレで、ハヤブサを扱った海外ドキュメンタリーが放送されると教えてくれた。その時に録画しておいたのを、昨夜再生すると、先にネコが反応した。画面の前に駆け寄り、かぶりつきの状態になった。うちのネコは動物番組が…

赤いクワガタと芥川のスパニッシュ・フライ

「赤いクワガタ」が京都、滋賀に出没したので、要注意という報道が流れた。 有毒の昆虫で、体液に触れると皮膚がただれるとのことだった。 クワガタが有毒というのは初めて聞いたので、違和感があったが、案の定、全くクワガタと関係のないツチハンミョウの…

中華商場とローランド・ヒル記念切手

若かった頃、細と台湾旅行に行った。台北の「下町」を歩き、食堂に入ったり、物を買ったりした。散歩していると「中華商場」という建物に行き当たり、そこの2階食堂で「臭豆腐」を食べるかどうか、逡巡したりしたのをかすかに覚えている。感じのよい台湾青年…

なお、昭和17年の「文藝」について

昭和17年の「文藝」をやっと、目を通し終えた。 太平洋戦争開戦直後なので、人が変わったように愛国精神を主張する文学者、学者の文章が多かった。 時流に乗らない文章は、先の広津和郎のほかにー。 織田作之助の「天衣無縫」があった。 大阪を舞台に、頼…

昭和17年のキセキレイ

今年になって知り合った神保町の古本屋さんが、新たに仕入れた古雑誌を段ボールに取り置きしておいてくれた。ありがたい。 中に昭和17年「文藝」の4月号があった。前年12月真珠湾攻撃があった時節柄、巻頭は真珠湾攻撃の特殊潜航艇9勇士の特集。横光利…

嵯峨野の白い花が咲いた

京都嵯峨野のお寺の庭から、和尚さんにいただいた草花が、我が家ですくすく育っている。 2年経って、思いがけない花を咲かしたものがあった。鉢が玄関に置いてあった。 細が、何の花かNETで調べて欲しいという。 便利なもので、「5弁の白い花 5月開花…

猫と夫婦喧嘩

家で猫を飼うと、家族で家を空けられなくなる。長い休みがあっても、一泊も家族旅行に出られなくなった。 朝、細が外出の支度をするそぶりをしようものなら、猫はすぐ感じ取って、化粧の邪魔しにやってくる。 食事の時は、用もないのに食卓の椅子に飛んでき…

梅子先生のお金のやりくり

また事務所近所の神保町の古本屋さんを通りかかると、店外の安売り本に、「人物叢書91・津田梅子」(山崎孝子著、吉川弘文館)が置いてあった。手にとって店内に入ると、若いご主人は「タイムリーな本があったので、外に出しておきました」。私が、さっそ…

裏焼きの百済観音

新5000円札の津田梅子の肖像が、左右逆転、つまり「裏焼きした」疑いが出ているという。 津田塾大が財務省に提出した梅子の写真は、正面から見て「右向き」のものばかりだったのが、お札では「左向き」に変わっていたのだという。 お札の右方に肖像を配…

誰がミソサザイを殺したか

ヨーロッパコマドリの赤い胸毛が、キリスト伝説とつながったことは、もっと古くからのコマドリの赤毛の象徴性が、キリスト教によって変容した可能性がある、のではないか。 ヨーロッパコマドリは、今でも欧州で、ミソサザイと深い関係があり、対で語られるこ…

ヨーロッパコマドリの胸の赤は

血の滴が、かの人の顔の高貴な造作に沿って、したたり流れた。 Droplets were TRICKLING DOWN along the noble features of HIS face. トリクリング ダウン。 トリクル ダウンは、こんな風に使われ…

おしゃかの日

4月8日は、お釈迦さまの誕生日、仏生会だった。 仕事場では、だれも話題にしない。 子供のころ、甘茶がもらえる寺があるというので、姉に連れられて歩いて行ったのを思い出した。 寺では釈迦像に甘茶を灌ぐので、参詣者にも分けたのだろうが、甘茶がさほど…

金危危日の猫の絵

花冷えの午後、神田神保町の外れにあるY書房の前を通ると、若いご主人が外で寒そうにしていた。 声を駆けると、「締め出されてしまって」。 事情を聞くと、昼休みに店のシャッターを半分閉じて内側から鍵をかけ、脇のビルの玄関口から出たはいいが、階上の…

謎の猛禽類ブックマーカー

英語の先生Sさんが突然姿を消してしまった。 ケータイを持たない先生だったのと、メールのあて先を頻繁に変えるために、連絡も途絶えてしまった。 余程の事情があったのだろうと、心配していたところ、留守中に我が家を訪ねてきて、手紙を置いて帰ってしま…

補足・描かれた明代紫禁城の象たち

明代・北京の象について触れ、賓客を迎える象は、どこで飼われていたのか、不明と書いたままだった。 象を飼育する「象房」というものがあって、その頃は、北京の宣武門内に作られていたのだった。宣武門は北京の内城の西南部にあり、その門内にある定力院に…

猫の表紙と鼠の挿絵

猫が表紙の昭和24年3月号の「笛」は、表紙裏に、鼠の挿絵が印刷されている。茄子のような野菜を、鼠がむしゃむしゃ齧っている。 同号の表紙が猫なので、挿絵は鼠をと、版画家の関野凖一郎氏(1914-1988)に編集者が提案して注文したのだった。 …

松本たかし主宰「笛」の表紙猫

猫は天気がよいと窓辺で午後を過ごし、そうでないと我が部屋のクロゼットの上段に潜り込んでじっとしている。休日に、猫が窓辺で脚を伸ばして横になっていたとき、毛並みをなでてみた。春めいてきた日差しを浴びて、体全体があたたかくなっていた。 日差しを…

上代日向研究所について(4)

その時、考古学者の瀬之口伝九郎氏は、知らされていたのだろうか。 陸軍が2ヶ月前の昭和17年4月、古墳群が広がる宮崎市の西北、現・国富町の木脇地区に、飛行場建設を決定し、やがて緊急の発掘調査を依頼されることになるのを。 紀元二千六百年にあたる…