クリスマスまでの期間、近所のコーヒーチェーン店で、「ふちねこ」のサービスをしている。きょうも仲間3人でランチを済ませた後、覗いた。レシート3枚で、箱に入ったふちねこを選ぶことができる。ただし、袋詰めなので、5,6種類のうちどれを選べるかわからない。
ふちねこは、カップの縁に引っ掛けて楽しむ小さなゴム人形。以前「ふち子」というOL人形が話題になったことがある。これまで、店で
クリスマスリースに飛びついた黒猫
雪だるまのコスチュームの黒猫
を引いたのだが、今日は、また、クリスマスリースを引いてしまった。
仲間がなぜか欲しがり、あげることにした。前回ダブった「雪だるまの黒猫」を無理やり上げたところ、家で娘さんが気に入り、これも持ち帰りたいとのことだった。
クリスマスリースの黒猫は、我が家の猫が机の筆立ての縁にかけていたのをくわえて持って行ってしまって、行方知れず。
黒猫にちなんで、気になっていた、薄田泣菫(1877-1945)の随筆「黒猫」(昭和2年)を青空文庫で読んでみた。
6月午後大阪の場末で、真っ黒な子猫が荷車曳きの爺さんの不注意で轢かれ、「雑巾のやうに平べったくなって」しまったことから始まる。目撃した「有識婦人」(新聞の婦人欄に登場する関西婦人)が憤慨し注意をするので、爺さんがお宅の猫かと聞く。
「宅の猫ぢゃありません。うちの猫だったらこんなとこに独り歩きなぞさせるもんですか。可哀さうに」
「お宅の飼い猫やないものを、なんでまたわてがあんさんに謝らんなりませんのだすか」
「私にあやまれと誰が言ひました」
「それなら誰にあやまるんだす。あやまる相手がないやおまへんか」
「この子猫にあやまらなくちゃなりません」
「阿呆らしいこと言ひなすんな、わてかう見えても人間だっせ」
死んだ猫の上で、2人の喧嘩はなおも続くが、「その日稼ぎでだすよって、忙しおますからな」と爺さんが行ってしまった。婦人が手巾で子猫を包み、見ていた3,4人の子供に、猫をどこかに埋めてくれないか、と駄賃の50銭銀貨を出して頼む。子どもたちは誰も手を出さないでいると、爺さんが戻ってきて、
「それだしたら、奥さん、わてに始末させてもらひまっさ。もともとわての粗相から起きたことだすよってな」
「お前さんにはお頼みしませんよ。お前さんは、自分のした粗相をあやまらうとしなかつたぢやありませんか」
「あやまりまんがな。そない言はんかてあやまりまんがな」
手巾の結び目から小猫の死骸を覗き込みながら
「えらい済まなんだなあ、堪忍しとくれや。これでよろしおまつしやろ、奥さん」
爺さんは銀貨をもぎ取って、手巾に包まれた猫を荷車に投げ入れて足早に行ってしまった。横堀に差し掛かると、爺さんは包みをぽいと水の中に投げ捨ててしまった。
詩人で随筆家だった泣菫が、大阪毎日新聞の学芸部長を務めたころ、目撃したようだ。
泣菫の筆名は、オスカー・ワイルドの詩の一節から取ったものとされる。ワイルドが英国詩人キーツの墓をうたった「露に濡れてすすり泣く優しの菫」「Gentle violets weeping with the dew」からという。
この「黒猫」発表の翌年、土井晩翠はローマにあるキーツの墓を詣で、墓の傍らで採った菫を押し花にして、日本の泣菫に送ったのだった。