生類憐れみの令と猫の句

 芭蕉の門下に、猫や鼠の俳文や句が目立つというのは、徳川綱吉の「生類憐れみの令」と関係があるのだろうか。

 芭蕉は元禄七年に没したが、弟子の蕉門十哲は、杉山杉風を除き2-30代で元禄を迎え、元禄末の17年に丈草が没したが、9人はさらに長く生きている。元禄年間に壮年時代を過ごしたのだった。

 

 元禄4年に歌舞伎役者の水木辰之助が槍踊りで世間の評判になった時、宝井其角

「煤払(すすはき)や諸人がまねる鎗おどり」の句を作る。

 年末の大掃除をしながら、ほうき、はたきを槍代わりに、みな辰之助の槍踊りを真似ている、と歳末の光景を句にした。辰之助はその後、其角の弟子になった、と歌舞伎年代記に記されている。

 その辰之助が、京、江戸、大坂で評判をとったのが、猫の所作だった。

 恋した男が実の兄と分かり、思いを断ち切るために兄を別の女性と添わせるが、恋心は更に燃え上がり、兄妹でも夫婦になれる猫がうらやましいと、猫に変身するという、所作事「胡蝶の舞」を作り出したのだ。

 

 これを見て、其角は猫が登場しない猫の句として作り上げた。

「猫恋句合 疑恋」と題して、

「花の夢胡蝶に似たり辰之助

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 自分が蝶になった夢を見た荘周が、目覚めて、いや今のほうが、蝶がまどろんで見ている夢の世界かもしれない、という当時流行った荘子の「胡蝶の夢」を重ねて、辰之助の猫の所作を句にしている。姫だと見れば猫、猫だと思えば姫、といったところだろう。あるいは、蝶を追う猫の所作も、猫だと思えば胡蝶、胡蝶だと思えば猫、といった意味合いもあるのかもしれない。

 

 あら猫のかけ出す軒や冬の月  内藤丈草

 竹の子に身をする猫のたはれ哉 森川許六

 木枯や更け行く夜半の猫のみみ 立花北枝

 

元禄時代の猫などの動物が登場する文芸と、生類憐れみの令との関連について、もう研究している人がいるのだろうか。