蛇に見立てた猫の尻尾

 ヌエ(鵺)のことで、猫と蛇に触れたが、猫を観察していると、尻尾が蛇に似ていると思うことがある。とくに、左右にクネクネと振る時。

 

 高浜虚子の戦時下の俳句に猫の尾に触れたものがあった。

 

 昭和18年4月25日、小石川植物園御殿「冬扇会」での披露句。

 

 尾は蛇の如く動きて春の猫

 

 虚子は、猫の尾の不気味な動きに関心を持ったようだ。猫本体と、猫の尾が別の意志を持った生き物に思われることがあるが、虚子もそう感じたのだろうか。

 

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 昭和18年といえば、仲よくなった神保町の古本店で手に入れた「玉藻」昭和18年2月号がある。虚子の二女星野立子が主宰する俳句誌で、この号にも虚子が巻頭の言、自作句、添削、読者との問答と、大活躍していた。いま読むと、読者の22問に答える問答が新鮮に見える。

 

問 乳呑児を持ち乍ら句をやりはじめたもので御座いますが左の句出来てゐますでせうか。

  城跡に丈より高き芦枯るる

答 それ位におできになればようございます。どしどしお作りなさいませ。

 

問 虚子先生「句日記」ホトトギス十二月号九頁には

  香港陥つ彼の鏤めし灯も凍り とあります。大東亜戦争記念藝術会の作品を入手しました處、虚子先生御揮毫の作句を拝見いたしましたが、それには

  香港落つ彼の鏤めし灯も氷り となってゐますが、先生の元句はいづれが正しいのでせうか?

 

答 どちらでもようございます。

 

 虚子は、日本文学報国会の俳句部会の会長にまつりあげられていたが、この「答」を読む限り、幹事長の富安風生と違って、戦勝俳句に乗り気でなかったように伺われるが、どうだろう。

  立子選の投句欄には、734人の句が掲載されている。時節柄、住所に、軍艦榛名、ジャワ派遣、比島派遣といったものがある。戦艦榛名は、ミッドウエー海戦に出動したが、沈没した戦艦の比叡、霧島とは違い、米艦隊との交戦がなかったので、投句もできたのだろう。

 

  この年の12月、虚子は犬の尾を句にした。

   枯草に犬尾を垂れてものを嗅ぎ

 

  蛇のように動く猫の尾と比べると、犬の尾は垂れて元気がない。 虚子が猫の句を作った4月25日は、同じ18年でも比較的長閑だったようだ。実は1週間前に、山本五十六海軍大将の搭乗機が、南方戦線で撃墜され戦死していたが、5月21日まで隠され公表されなかった。10月には、出陣学徒壮行早慶戦が行われるなど、年末ともなると戦況悪化を肌で感じるようになったのだろう。

  猫と犬の尾の句に、時代の空気の変化も伺われる。