鷹狩りには歴史的、地域的に「左手に鷹を止める作法」と「右手に止める作法」と二流あって、個人の好みで変えられるというものではない、と記してきた。
左手が、日本、ヨーロッパ、アラブ、韓国
右手が、中国、ロシア、モンゴル、イラン(ペルシャ)
その中で、間違った表記をしてしまったことがある。
例えば「モズに『鷹狩』をさせた信濃の業師」で、桜井五郎について触れ、引用した「和漢三才図会」の「鷹匠」のイラストが、間違いだと断言してしまった。
旅装の日本の鷹匠が、左手でなく右手に鷹を止めているのはおかしい、と書いたのだった。
しかし、鷹匠が鷹を放つ時は左手でも、移動、運搬中は別な話なのだった。
フレデリック2世の「鷹狩りの技術」を読み返したところ、英国ヘンリー三世の1250年に、馬に乗った鷹狩りの服装の若い貴族が、通常の左手でなく右手にハヤブサ属を止めている挿絵が掲載されていた。
同書によると、鷹やハヤブサを手に止めて移動する際は、強風から守るために、右手、左手と持ち替え、鷹匠が自分の体を使って風除けをする必要があるのだった。風で鳥たちは動揺するからだ。突然の激しい雨、雹も同様。
同書には、夏に鷹を運ぶ時は夜がいい、さもなければ夜明け前に出発し、冷たい水を頻繁に与え、肉も冷水でさらすように暑さ対策を記している。
冬は風のない昼夜を選び、鷹が止まる拳は毛皮のついた手袋を着用し、鷹の足元、体全体を温めるように指示してある。
中世の鷹の運搬の苦労が知れて興味深い。
三才図会のイラストは、鷹を運んでいる鷹匠として間違ってはいなかったのだ。江戸時代のイラストレーター様、失礼しました。