
鷹狩りについて調べてゆくと、どうしても、フレデリック2世の書いた大著「De arte venandi cum avibus」(鷹狩りの技術)を無視できないことが判った。
2分冊の英語訳が出ているので、上巻から取り寄せて読み出した。
13世紀の神聖ローマ帝国皇帝で、シチリア王でもあったフレデリック2世が第6回十字軍の遠征の際、アラブ世界の鷹狩りの教本のコピーを持ち帰り、ラテン語に翻訳した後、自らの鷹狩りの体験を加えて、この大著をものしたとされる。
読み出したばかりだが、鷹狩りに用いる鷹の最高峰は、シロハヤブサだったことは確認できた。
ルアーを使っての、餌に飛びつく鷹の訓練も描かれていた。

なんと、シロハヤブサ用のルアーは、鶴の翼を切断して拵えたものだった。シロハヤブサの究極の捕獲対象は、鶴だったようだ。前に、元の初代皇帝フビライハーンが、いっせいにシロハヤブサを放って、鶴を捕えたことをマルコ・ポーロの「東方見聞録」を引用して紹介した。
13世紀、東西で、最高の鷹狩りはシロハヤブサの鶴猟だったのだ。
フレディリック2世の生涯 1194-1250
フビライハーンの生涯 1215-1294
フレディック2世は、鷹狩りの真髄をアラブから教わったのだから、アラブも同様だったのだろう。
フレデリック2世は左腕に鷹を止めている。この作法はアラブ流だ。モンゴルは、前から言っているように、反対の右腕だ。
左 ヨーロッパ=アラブ=日本=朝鮮半島
右 モンゴル=トルコ=ペルシャ=インド=中国
東西の帝国で作法は違う。しかしながら、シロハヤブサで鶴を捕るのを最上とするのは一致していたことになる。
(続く)