古事記のオオタカは、シロハヤブサだったという仮説

 前の事だが、南京博物院名宝展が東京でも開かれ、明代の画家殷偕の「鷹撃天鵞図」が展示された。
 
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 天鵞は白鳥。鷹が白鳥を撃つ瞬間を捉えた迫力ある画だ。カタログの解説には、
 「天鵞(白鳥)を襲う鹞鷹(はいたか)の図」と記されていた。南京博物院の判断なのだろうか。
 
 この鷹はホントに「はいたか」か。腹、翼の内側は白いが、はいたかの背はこの絵のようには白くない。
 
  どう見ても、「シロハヤブサ」だろう。 
  
 基本的な鷹の知識に欠けているようだ。
  
 さて、古事記に、白鳥を捕まえるオオタカの話が載っている。垂仁天皇の条で、クグイ(白鳥)を捕まえるために「帝鳥」(おおたか)を遣わしたという話だ。「おおたか」は人名になっているが、白鳥を捕えるタカの知識が背景にあって、初めて理解できる名前と考えていい。
 
「おおたか」は、帝と鳥を組み合わせた作字であるから、「蒼鷹」のことではなく、帝王格の別の鷹をイメージしているのだと思う。名に相応しいタカは、13世紀にタカの王様格とされた「シロハヤブサ」以外に考えられないだろう。
 古事記が書かれた時代にも、白鳥を捕えるシロハヤブサの鷹狩(FALCONRY)の知識が日本にあったのではないか。
 日本書紀は、仁徳天皇の時代にクチ(ハヤブサ)による鷹狩りが行われ、日本での鷹狩りの始まりとしているが、古事記ではそれよりも前の垂仁天皇の記述にシロハヤブサの鷹狩りがあったことを匂わせている。