飛行機に乗るときも、タクシーに乗るときも、自転車に乗るときも、左側から乗り込む。当たり前のように思っているが、当たり前でない。
日本は、古墳時代から馬に乗るときは、右側から乗っていた。そのことは前に触れた。(カテゴリー「右と左」を参照)
モンゴル旅行をしたとき、チンギスハーンを描いた日本ドラマがモンゴルで放送され、チンギスハーンを演じた加藤剛が馬を右側から乗る姿に、モンゴルでは笑いが起きた話を前に書いた。モンゴル人はみな左から乗る。なんでチンギスハーンが反対側から乗るのだと。
以来、鷹狩りで左右のどちらの手に鷹を止まらせるかなど、地域、民族による左右の習俗の違いについて気になっている。
チンギスハーンを描いた日本の制作者は、今と違って日本では古くは右乗りだったので、チンギスハーンも右乗りで、と気を利かせたつもりだったのだろう。しかしモンゴルでは昔からずっと左乗りだった。
坂内誠一さんの「碧い目の見た日本の馬」(聚海書林)を読んで、右乗りは日本ばかりか、ツングース系民族がそうであることを知った。
同書によると、彼らは、トナカイを右から乗っていたというのだ。江戸時代の文化4年(1807)、ロシアに捕らえられた択捉島番所の帳役中川五郎治が、5年後に松前に戻ってから、「異境雑話」を書いたが、その中で、ツングースの右乗りの習俗を記したのだった。
「トングシ(ツングース)、鹿(トナカイ)に乗るには右よりす。魯西亜にて馬に乗るには皆左方よりす。故に右よりするものはトングシとて大いに笑ふ」
おそらく五郎治も、右から乗っていたのではないか。坂内さんは「幕末ともなると、多少左右自由に乗下馬していたようである」と記している。幕末まで右乗りが生きていたのだ。五郎治は、ロシア人が、自分を含め右乗りする人を「ツングースだ」と笑うのをいぶかしく思ったのではないか。
同書では、加藤九祚さんが、ソ連の民族学者もまたツングースのトナカイの右乗りの習俗を書いていると紹介。五郎治の観察は確かだったことが分かる。
ツングース系民族というと
エヴェン/エヴェンキ/オロチョン/ネギダール/オロチ/ウデヘ/満州/ナナイ/ウリチ/ウィルタ
などがあげられるが、トナカイを飼うとなると、五郎治が見たのはオロチョンあたりか。
日本で騎馬した古墳時代の男たちは、モンゴル系の乗馬術でなく、ツングース系の乗馬術を用いていたことになる。