インドにあった日本の左右の習慣

 日本の古墳から出土する馬子の埴輪が、左手で馬の右側から牽いていると、前に指摘したが、再度調べてみると、右手で牽く、石川県の小松市の矢田野エジリ古墳の一例を除き、殆どが左手牽きだった。
 
群馬県太田市 太田塚廻り4号墳 6世紀前半
 
 
奈良県磯城郡田原本町 笹鉾山古墳2号墳  6世紀前半
 
 
▼埼玉県熊谷市 野原古墳   6世紀後半
 
 
▼千葉県山武郡横芝光町  芝山古墳群  6世紀後半
 
 
 前に紹介した 奈良県香芝市 下田東古墳 を含めると、5例になる。
 
 このように、馬子が左手で牽く例を海外に求めると、インドに多い。現在のインドの「馬子」を、ネットで調べると、
 ▽インド南方のケーララ州、タミルナード州。
 ▽インド東方の西ベンガル州
 ▽インド北部のジャンムー・カシミール州。
 
 インドで幅広く、見つかった。タルミナード州のものは、自転車に乗りながら、左手で馬をひく面白い写真があった。
 
 
「右手は浄」
「左手は不浄」
 
 インドでは、食事を手で食べる際も、清い右手と決めているのは、よく知られる。食事をする清い右手では、なるべく手綱を牽かない、ということなのだろうか。
 
 中世のインドの絵画に、騎士が手綱を左手で掴むもののあった。
 
  インドのことを、もっと調べる必要があるが、日本の左右の習慣と、インドのような「浄」「不浄」の思想が、関連している可能性も捨て切れない。
 
  インドの少年が、通常の馬の左側からの騎乗と反対に、馬の右側からしがみついて騎乗する写真もあった。日本の古代、中世と同様に、右側から乗るユニークな乗り方だ。
 
 インドは遠いように思えて、日本の古代からの習俗、信仰で、インドに関連すると思われることが、ほかにも結構あるのだ。