9つの目はネストリウス派のイエスか

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 モンゴル族の祭事用具「9つの目」の起源を想定すれば、常識的には、
1 シャマニズム
2 ラマ教
あたりに落ち着きそうだ。
 上掲写真のトゥバのものは、9つの目が、紐で組んだような体裁になっている。まるで、モンゴルで愛好される紐による伝統模様「オルジー・ヘー」を思わせる。
 
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 しかし、9つの目に近いものを探すとー。
 
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 ピタリ来るものがない。
 仏教関連では、密教に、金剛曼荼羅という9分割の世界観がある。胎蔵曼荼羅とセットで、日本ではおなじみだ。
 
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 モンゴルのタンカで探すと、金剛曼荼羅はあるが、周囲や中心部を円で囲んだものが目立つ。9つの正方形が集合して大きな正方形を作る日本のような図はみかけない。9つの目との直接的な関係はまだ、認めがたい。
 
 そこで、あえて考えてみたいのは、ネストリウス派などキリスト教の影響だ。キリスト教ネストリウス派景教は7世紀に、中国、東アジアで布教を開始。13世紀のチンギスハーンの時代に、キリスト教が活発となり、チンギスハーンの親族にも信徒がいた。
 聖数とされる「9」はモンゴル語で、EC=イェス。イエス・キリストと音が近い。それを別にしても、モンゴル、中国の古代、中世のキリスト教と、数字の「9」の関係が気になることはある。
 
 景教の信者だった元代のモンゴル貴人の墓誌が発掘された。
 
イメージ 5 内モンゴルの赤峰市出土
 
 変形十字架の下に、9つの花弁の蓮華が描かれる。6、8、10の花弁の蓮華紋は多いが、9の花弁は珍しい。9=ECがイエスを表しているのではないか。
 
 オルドス地方のモンゴル族の口碑に残る「子供の遊びことば」に、数字の9についての遊び言葉で、僕には理解不能のものがあった。それは、9が、「あらゆるものの父なのだ、わしは」というものだ。
 なぜ、9があらゆるものの父? 首をかしげたものだ。(東洋文庫「オルドス口碑集」)
 
 これも、9がイエス・キリストなら、理解可能だ。モンゴル族の習俗に案外、古い時期のキリスト教が入っているのではないか。
 
 唐代の景教流行を伝える碑文(781年)が、他の碑文と違って、9分割の目の中に収まっているのも気になる。
 
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長安にあった「大秦景教流行中国碑」(西安市
 
 小さな十字架が最上部に彫られている。モンゴル族と関連はないが、見事な9分割だ。イエスの9が、思いがけない伝統習俗の中に残った、ということが考えられないか。
 
 モンゴル族の歴史は、想像以上にバラエティに富んでいるのだから。