六甲山麓のヘルマン邸とドイツ犬

 また、友だちの歯科医に、歯を治療をしてもらう。椅子が後ろに倒されると、腕が伸び縮みする照明機具が見える。機能的な無駄のないデザインの機器には前々から感心していた。
 
 SIEMENSの文字。ドイツ・ミュンヘン多国籍企業シーメンス製の医療機器なのだろう。
 
 シーメンスというと、シーメンス事件が思い浮かぶ。
 遠い春に、六甲にある親戚の家にひと月、厄介になったことがある。休日に、近所を歩くと、思いがけない処に美術館などがあって楽しんだのだが、親戚と話していて、近くにあったヘルマン邸が話題になった。大谷光瑞のピンク色の二楽荘とともに、赤い尖塔のヘルマン邸は六甲山中のシンボル的な建物だったという。
 
 ヘルマンは日本でシーメンス社の代理店をつとめ巨額の富を築きあげ、明治41年、神戸の山に巨大な敷地を手にいれて、ドイツ式の城のような本格建築をこしらえた。
 ところが、ヘルマンは、大正3年、海軍の収賄事件に関わり、逮捕され有罪判決を受けてしまった。山本権兵衛内閣が倒れた、有名な「シーメンス事件」。
 
 豪邸は7年後に売却され、しばらく放置されたままだったという。(やがて廃墟となり、消滅した)
 藤田嗣治と親しかった洋画家の宇和川通喩(みちさと)画伯が、その後、館を借り受けて住んでいたことが判っている。
 
 今になって、歯科医院のシーメンスに反応してしまったのは、最近足しげく散策している高円寺の古本屋で、ヘルマン荘に触れた本を偶然手にいれたからだ。店外の棚にあった野田弥三郎「一草園雑記 身辺雑記」タイトルに魅かれて買ったところ、著者は阿佐ヶ谷駅の近くで自宅の庭を公開していたマルキストだった。
 その野田氏が、なんと青年時代、ヘルマン邸に住んでいた思い出が書いてあって、がぜん、関心を抱いたのだ。書き方は控えめである。
 
 大正13,14年ごろ。
「私は、本館の側の別館に住むある洋画家の許に高校時代の半分を寄寓させてもらったのである」。
 洋画家の名前を出していないが、宇和川画伯だとしれる。画伯は本館でなく、別館住まいだったことも分かる。
 野田氏が描く豪邸は、
1)住吉川の川沿いの道から右に折れると、灌木の茂みの自動車が走れる道があって100㍍ほど登ると楼門の前に着いた
2)楼門は急傾斜の朱塗りの屋根を持ち、下部は青く塗装され、屋根の下に紋章のような飾りがはめ込まれていた
3)門の両側にベンチがしつらえてあった
4)楼門を抜けると手入れの行き届いた庭が広がり、5,6メートルもある数本の蘇鉄の植え込みがあった
5)蘇鉄の脇には大鉢のリュウゼツランが逞しく葉を広げ、合歓の木が淡い緑の色調を漂わせていた
6)楼門から3,40メートルのところに本館があった
7)地下一階は、石畳で倉庫や使用人の住居にあてられていた
8)石段をあがると表玄関で、素晴らしいホールがあり、数十組のペアが踊れる広さがあった
9)床は木を組んで絵模様が描きだされていた
10)天井からは金色のシャンデリア
11)ホールの南側はガラス張りのサンルームで、大阪湾、和歌山、淡路島が望めた
12)本館には朱塗りの尖塔が高くそびえ、鉄道の車窓からも見えた
13)住み込みの番人が狼のような2頭のドイツ犬を飼っていた
14)番人は犬を従え、時折、広い屋敷内で野鳥や兎を撃った
15)授業を終えて帰ると、手籠を持って庭を歩き、夕食用にショウロ、ハツタケ、ネズミタケを籠一杯とった
 
 豪邸売却後の、大正末にも、住み込みの番人がいて、ドイツ犬とともに狩りをしていたことが分かる。何という広大な敷地なんだろう。狼のようなドイツ犬ってなにか。ドイツ犬種には、ジャーマン・シェパードロットワイラーグレートデーンなどがいるけれど、ドーベルマンがふさわしい。
 この犬は、おそらく、ヘルマンの飼い犬だったのだろう。
 
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 ヘルマン邸について、野田氏の思い出は、あまり知られていないのではないかと思う。
 
(続く)