滋賀県のオルドス式銅剣から想像してみる

 琵琶湖の北西岸の高島市の弥生遺跡から、オルドス式風の銅剣の鋳型が発見され、日経ほか一般紙が大きくとりあげていた。長さは、29・5㌢。
 
 鋳型が拵えた銅剣を再現すると、こうなるらしい=左下。
 
イメージ 1  オルドス式銅剣は イメージ 2
 
 こんなだから、柄頭の2つの輪=双環がよく似ている。
 (右上図は、内蒙古・毛慶沟墓地出土=「鄂尔多斯式青銅器」内蒙古自治区文物工作隊 田広金・郭素新編著から)
 
 違いは、今回のものは
1)柄とに比べ剣身が長い。
2)鍔がない。
3)刃の厚みが3ミリと、薄い。
 
 振り下ろしたり、突いたりする、遊牧民の短剣と比べると、ヤワで、実用向きでない。
 
 紀元前8-3世紀に、内モンゴル華北を中心に分布しているが、半島や日本で出土している銅剣は、遼寧式で別物。日本海を渡って直接、渡来したものを参考に鋳型を作った、と多くは見ているようだ。
 
 オルドス式は、広く伝播して、雲南でも出土している。
 
イメージ 3 「雲南青銅文化論集」雲南省博物館編から
 
 東シナ海を通って、南方ルートで渡来した可能性も十分ある。オルドス式の双環柄頭の模様は、もともとは、動物ガ向かい合った形だった。
 
イメージ 4 動物との付き合いが生活の大部分を占める遊牧民ならではの文様。
 
 
 今回出土の、幾何学的な真丸の輪は、イメージ 5
 
 僕には、銅鐸の飾りの、2つの輪のセットに似てなくもないと思う。
 
 イメージ 6
 
 こちらは、水流の渦とか、太陽とか、南方の文様。オルドス式=イコール北方ルートと、急いで結論づけない方がいい、というのが素人ながらの見解だ。