チベット、雲南も古代日本流のよう

 
 馬子や騎手が、馬をひく際、馬の手綱を、馬の右側から取るか、左側から取るか、について触れたが、さらに、こだわってみる。
 
 世界を見渡して多くは、馬から見て、左側からひいているのだが、古墳時代の埴輪の大半は、馬子が、右側から取っていて珍しい、こと。
 そして、現在、右側から手綱を取る例は、インドで見られる、こと。
 そこまで、述べた。
 
 ほかに、右側の例はないか。典型的な例として、元の時代の陶製の像が挙げられる。
 
 
 
 腹の出た武人が馬の口元から、手綱をガシッとつかんでいる。「元」の武人と馬の像だが、どうみてもモンゴル人ではない。帽子がモンゴル風でなく、チベット風だ。tibetan earflap hat といって、耳当てと、左右の長い紐が特徴だ。
 似ている。
 
 
 また、元の時代ともなると、モンゴル出身のフビライカーンも、右前に衿を合わせているが、この武人は、左衽(さじん)である。
 
 左衽 衣服を左前に着ること。昔、中国では夷狄の風俗とした。(大辞泉
 
 13-14世紀の、チベットの武人と判断して間違いなさそうだ。
 
 
雲南省博物館編「雲南青銅文化論集」(1991)が、手元にあるので捲ってみると、張増祺氏の「雲南青銅文化的類型と族属問題」という論文があって、
 
古羌人(紀元前、北方草原地帯から雲南に移動したとされる遊牧民
 
を描いたと見られる画が紹介されていた。
 
イメージ 1
 
 左衽の古羌人は、馬を右側からひいている。
 
イメージ 2
 
 牛を右側からひいている絵もある。こちらは、雲南の嶲人のものらしい。嶲をケイと読むのか、不明。 
 こうしてみると、インドのほか、チベットも、雲南も 「古代日本流」であることが分かって来た。
 
 漢代のシルクロードの道でなく、さらに南の道を、西にたどって行くと、古代日本の左右習慣と同じ習慣を持つ文化に、行き当たる。
 
 その先にルーツが、やがて見えてくるように思える。