和田山出土の神獣鏡の象

 象のノート(4)
 
 平安時代の象に触れたが、日本に象の絵が伝わったのはもっと前、古墳時代に遡る。
 
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 この絵は、京都府朝来市和田山にある円墳「城ノ山古墳」出土の三角縁神獣鏡の模様の一部。出土した6面のうち、2面に象が鋳られていて、魚、蛙、鼈、鳥、竜、怪物のようなものとともに、鏡の模様の外区の周りを飾っている。
 4世紀末に築造されたというから、象の図像はこの頃までに渡来していたわけだ。城ノ山古墳は、ほかにも石釧、大量の勾玉、管玉などが副葬されており「南但馬の王墓」といわれている。
 
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 他では発見されていない象の鏡がどうして、円山川上流の山中で発見されたのか、前々から関心を持っていた。5月に出版された「鏡が語る古代史」(岡村秀典、岩波新書)を読んで、中国でも象の絵のある青銅鏡が出土しているのを知った。制作した工房も。
 
 淮(わい)派という安徽省淮南市あたりで活動した鏡製作の一派で、とくに「杜氏」を名乗った工房は、「八十年代に四神を中心とする瑞獣からエキゾチックな奇獣へとモチーフを転換し、独創的な銘文を練り、つねに業界をリードしているという自負心があった」という。(前掲書)
 
 そのエキゾチックな奇獣のひとつが、象だった。
「(鏡の)外区には『杜氏』が好んで用いた象、二角をもつ牛、三足鳥、人頭獣身の怪人などがめぐっている」と杜氏作の獣帯鏡を説明している。
 
 和田山の鏡の象の源流は、1世紀、後漢の時代に淮南市周辺で、鏡を作っていた淮派「杜氏」のアイディアだった。それが、獣帯鏡、神獣鏡、画像鏡と影響しあい混交して、淮派の特徴は、2世紀の斜縁神獣鏡へと引き継がれ、和田山三角縁神獣鏡の象につながった、ということらしい。
 
 淮南は淮河沿い。南の揚子江まで出て、少し下ると南京、上海。その辺りが象の絵のルーツということになる。
 
[写真]朝来市「古代あさご館」のレプリカ青銅鏡