帝釈天の象からゾウハナが

象のノート(3)
 
 神社仏閣の柱上部に、象の彫り物があるとなんだかうれしくなる。「象鼻」という。同じような彫刻物でも、獅子や獏は、装飾性が強すぎる。
 
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 象鼻が生まれたきっかけは、鎌倉時代東大寺再建。中国・宋の建築様式が移入されたためだ。「大仏様」といわれるその特徴のひとつに、柱の上部に穴をあけて、横木を通す技法がある。木の先端が、柱から突き出ることになったため、そこにシンプルな彫刻を施した装飾が生まれた。「木鼻」という。
 
 木鼻に、さらに装飾が加わり、いつの間にか、象を象ったものが生まれたのが、「象鼻」。
 
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 1408年、インド象が南蛮船で若狭に到着したことがあった。江戸時代のように象の渡来をきっかけに象ブームが起きたように、象鼻誕生の秘密は、このためではないか、と思ったことがあったが、その100年以上も前から日本で象鼻が存在したので、間違いであることが分かった。
 
 象は3タイプの彫刻や画像として、以前から日本に到来していた。
1)普賢菩薩の乗る白象
  知恵の文殊菩薩と対になる慈悲の菩薩。平安中期以降、女性の信仰も篤かった。6本の牙を持つ象。
2)帝釈天の座る象
  もともとはインドの武神だった帝釈天梵天とペアで、仏教の守護神に。東寺、醍醐寺など平安時代制作の帝釈天と象が残っている。
3)聖天(ガネーシャ)の象頭
  象は頭だけ。誤ってわが子ガネーシャの首を切り落としてしまったシヴァ神が、象の首をわが子に取り付け復活させた。象同士が抱き合う像で知られ、歓喜天ともいわれる。象は、右の牙が折れている。
 
 というわけで、象の彫刻は、天台真言密教寺院で存在していたのだった。象鼻の牙は、6つの牙の普賢の白象や、折れた牙のガネーシャとは違うことから、帝釈天の乗った象が象鼻の原型だったと推定する。
 武神の乗った戦象だったとすると、先に書いた将棋の駒の「酔象」と重なる。「酔象」のバリュエーションとして、象鼻を眺めるようにしよう。
 
 写真上は、埼玉・川島町の広徳寺の象鼻
下は、山形・山寺、奥の院の象鼻