師走に入って、せわしなくなったのに、鏡の呪文などというどうでもいいことを調べ出してしまった。
休日、ジムで汗を流しながら、考え続けている。
上は、後漢時代の中国鏡。十二支の漢字が時計回りに、子(青〇)からぐるりと四辺に3文字ずつ書かれている。
赤丸は、右から申、酉、戌
新山古墳出土四神鏡の十二支は、この順が乱れ、しかも漢字が図案化されているのだという。
王杖など豪華な副葬品から、新山古墳は4世紀後半の王者の墓と考えられている。
自分流に、新山古墳を探索してみた。
見逃せないのは、枕形石製品(石枕)が出土していることだ。
被葬者の頭を支える石製の枕。
4世紀後半前後のものは、珍しい。
近隣で探すと、
1 奈良の佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の、日葉酢媛陵古墳
3 奈良・渋谷出土(伝・景行天皇陵近く)
面白いことに、1ー3に共通点があることだ。
1の日葉酢媛は3の景行天皇の母。
珍しい石枕のつながりは、下のようになる。
石枕は、丹後から日葉酢媛を通してヤマトに持ち込まれたと考えたくなる。
日葉酢媛陵に枕形石製品が出土しているのは、偶然ではないだろう。
記紀神話と考古学を安易につなげることは反則だろうが、これだけ符合していると、日葉酢媛陵に治定されている佐紀盾列古墳群の陵墓は、やはり丹後出身の日葉酢媛の墓なのだろうと推測される。
「ともかく『記』『紀』で信じられそうな記事は崇神・垂仁・景行天皇あたりの記事と、応神・仁徳より以降の記事である、というのが、戦後の古代史学界の一つの有力な考え方」(塚越義信「佐紀盾列古墳群とその被葬者たち」)らしいので、大きく外してはいないだろう。
石枕のルートを考えると、新山古墳の被葬者は日葉酢媛に近い人物に絞られるだろう。
息子―。
①イニシイリビコ
③オオナカツヒコ(記) オオナカツヒメ(紀)
④ヤマトヒメ
⑤ワカキニイリビコ
①③⑤が候補になる。
そして孫たち―。
かれらのうちの一人の墓に、子孫が絶える呪句の鏡が紛れ込んでいたわけだ。