青銅鏡の銘文から空想してみる

 古代の青銅鏡の擬銘文を解釈するのは絶対無理だろう。前回書いた、4世紀後半の新山古墳から出土した方格規矩四神鏡。でも、やってみる。仮定に仮定を積み重ねた空想に近いものになるだろう。
 
 上が、十二支。下が、乱れた十二支。
 
 子丑寅卯辰
 
 子丑寅卯辰
 
 大きく変わっている点に注意を払ってみる。
 1)子が2つに増えている
 2)戌が消えている
 3)酉と申が入れ代わり、間に子を挟んでいる
 4)酉の前が、未から巳に変わっている
 
 以上のことから、
 変化の中心は、「酉子申」である。
 4世紀後半、十二支をどう読んでいたのか、分からない。
 
 仮定1 すでに「ね・うし・とら・たつ・・・」と読んでいたとする。 
 子はネズミのほかに「子供」の意があるのはご存知の通り。  
 子を挟んで、「酉」(とり)と「申」(さる)。
 
 子供を取り去る、という呪句ではなかろうか。
 
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 バカバカしいというなかれ。酉と申で「取り去る」
 
「戌」=イヌが消えたのはどうしてか。戌は人を護る動物。ずっと後世になるが、戌は「多産」「安産」のシンボルとなっている。「跡継ぎがないように」と、子を酉申=取り去り、子を守護する戌も消したのではないか。
 
  では、「未」と「已」の交代はなぜか。
「未」=ヒツジは、いまだならずの「未」でもある。酉申の前に置くのはまずい。いまだ、子を取り去れないことになってしまう。
 「巳」=ミは、「已」=すでに(なった)の字に似て、成就を示すことになる。
というわけで、巳酉子申亥
という、跡継ぎを消し去る呪句を、十二支の擬銘に挟み込んでいたとー。
 
 興味深いことは、この鏡が出土した新山古墳は、宮内庁の大塚陵墓参考地として、武烈天皇の陵墓候補地となっている点だ。記紀に記述される武烈天皇には、子供がおらず、「男女なくして継嗣絶ゆべし」(日本書紀)と表記されている。結局、5代さかのぼった応神天皇の血縁だという継体天皇が即位したとされる。
 もちろん、前期古墳後期、4世紀後半の新山古墳と、6世紀の武烈天皇では時代が違う。
 しかし、この古墳造営の4世紀後半ごろにも、子供のいない大王が存在したことが、記紀には記してある。
  それはー成務天皇。空想を続けてみる。