ネズミが齧った石枕

 ネズミのおかげで、大きな解明につながる、こんなこともあるのか、Y書房で手に入れた「千葉史学」の87年5月号の白石太一郎氏の論文で知って興味がわいた。(「大鷲神社古墳発見の石枕とその提起する問題」)。

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 白石氏が取り上げているのは、「常総型石枕」の研究者沼沢豊氏のこと。5世紀の千葉市・石神2号墳で出土した2つの石枕と9本の立花に、ネズミが齧った痕があるのを発見したことだった。

 

 石枕については、前に新山古墳で触れた。古墳被葬者の頭が安置できるように作られた石の枕。4世紀畿内を中心に一部で使われたが、5世紀前後になって、突如として、千葉県香取市周辺を中心にした常総の古墳でのみ、一斉に用いられるようになった。

 石枕の外周に9つ前後の穴が開けられ、そこに勾玉を2つ背中合わせにしたようなX形の「立花(りっか)」を挿して飾った。その名の通り、花に見えないこともないが、私には枕全体が飾りのついた冠のように見える。

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 沼沢氏は、滑石製の石枕と立花がネズミにかじられた事実からこう類推した。円墳の頂上直下に深く作られた石室内へはネズミは侵入できない。古墳に埋葬する前の、モガリの期間にネズミが齧ったに違いない。

 死後、連日連夜続けられる長い「通夜」のようなモガリは、皇位継承ともかかわり、長期に亘るケースもある。立花を挿した石枕は、埋葬のとき用いられたのではなく、モガリの際に必要なものだったと解釈される。

 被葬者がよみがえることを祈っての歌舞や、共食などが想定されるモガリだが、被葬者が立花で飾られた石枕に頭を置いて眠る具体的イメージを持つことが出来るようになった。

 

 白石氏は、石枕の風習を受け継いだ常総の古墳被葬者たちを探り、その後陸路中心に変わる東海道の前代の、水路が中心だった時の東海道沿い、つまり東京湾の東岸、香取海霞ヶ浦印旛沼などが一つだった)を抑えた首長たちを想定している。

 常総型石枕の分布は、「この南関東から東北への大動脈と一致する。そして初期ヤマト王権の東国・陸奥政策とも関連してこの地域の首長達の間に形成されたのが海上連合にほかならなかったのではなかろうか」。

 水上航行に巧みな連中が浮かんでくる。

 

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 前に私は、4世紀に石枕の風習を導入したのは、「丹波道主―日葉酢媛―景行天皇」ラインだったのではないかと、遊び半分に想定した。「常総型石枕」との関連付けを試みるとどうなるか。景行天皇の皇子、ヤマトタケルが浮かび上がってくる。