法隆寺元禄再建論について

 NHKの「ブラタモリ」で法隆寺を訪ねる回(4月9日放送)があった。

 約1300年前に再建された同寺の金堂を紹介しながら、300年前の江戸時代の装飾を紹介していた。金堂の2階の軒を支えるために江戸時代に柱が加えられ、柱には龍が巻き付いている。倶利伽羅龍のような、江戸時代のデザインが、「世界最古の木造建築物」に少なからずつけ加えられていることが、われわれにもよく伝わった。いいことだと思った。

 

 今回、喜田貞吉の「法隆寺再建非再建論の回顧」(昭和9年)を読んで、発見があった。

 法隆寺の調査をする建築学者は、どうしても、これは古いものだと、思いたがる傾向がある、それはやむを得ない事だが、その中で、法隆寺は江戸時代の建築物という大胆な結論を出した建築家の長野宇平治氏(1867-1937)が居て立派なものだと、喜田は讃えていたのだ。長野の論文は明治30年「建築雑誌」8月号掲載「法隆寺伽藍の建築は元禄年代の再建に成りし者なり」、同12月号掲載「再び法隆寺建築に就て」。

 

 長野は、東京駅を設計した辰野金吾の弟子で、日銀本店も師と共に手掛け、本館は辰野、別館は長野が設計した。日銀本店のほか、銀行建築を次々に担当。日本建築士会(日本建築家協会)の初代会長に就任した大御所だ。

 

長野宇平治君は、建築雑誌上に『法隆寺の建築は元禄の再建』なる一篇の論文を発表せられた。是は再建論としても殊に極端なもので、同じ建築学者仲間の塚本靖君から、忽ち同誌上で反駁があり、伊東(忠太)君亦同誌に『元禄年間に於ける法隆寺伽藍の修繕の真相』なる研究を発表せられて、結局長野君の元禄再建説は、多く学界から顧られる事なく、其の終を告ぐるに至った」と経緯を記している。

 

 世界最古の木造建築が、元禄時代? 修理しただけだと、建築家仲間に一蹴されたわけだ。

 

 喜田は続ける。「余輩は長野君が、建築学者として此の極端なる再建説を立てられた勇敢なる態度に敬意を表する」「実物に就いて調査するものが、之をより古く見んとする事に傾くは亦自然の趨勢であった。然るに長野君が其の建築技術の上から元禄の再建を主張せられた所には、確かに傾聴すべき或る物が存在する。されば其の説はその場限りで立ち消えとなってしまったとしても、少なくも五重の塔婆だけは元禄の際の再建と云ってもよい程にまで、根本的修理の加へられたものであったらう事を、余輩は今以って信じて居るのである

 

 喜田は、長野が建築学者として思い切った結論を出したのは偉い、直ぐに否定されたが、元禄の修理は大規模だった、少なくとも五重塔は、根本的な修理を受け、もう現形をとどめない、元禄のものといっていいのではないかと、と主張しているのだった。

 

 私には判定できない。しかし、元禄文化の名残を探しながら、「世界最古の木造建築」を見るのは、歴史家喜田の歓迎するところだろう。

 

ブラタモリ」の法隆寺建築を扱う視点は、バランスがとれていたのではないか。