旅行で出くわした猫面と聖徳太子

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 旅の終わり、上越新幹線浦佐駅前、毘沙門堂の石段下の店で、猫面を見つけた。
 
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 白猫と黒猫の、大小4種類。紙製。ちょいと怖い顔をしているが、猫だからいいかと、白の小を買った。裏を見ると、毘沙門堂の「化け猫」で、魔よけだった。
 
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 毘沙門堂の化け猫には、こんな話があるという。
 
 《昔々、毘沙門堂に、一匹の猫が住みつき、年とって化け猫になったそうな。猫は長生きすると、化け猫にかわる伝説が各地にあるのだが、この猫もおなじだった。
 毘沙門堂の堂守を食い殺し、新しい堂守が来ると、また食い殺す。村人も手を焼いていたそうな。そこへ、一人の修行僧がやってきて、ふむふむと話を聞いた。
 僧は、堂に篭って、化け猫が現れるのを待った。猫が、片目の按摩に化けて出てきたところを、すかさず蓆(むしろ)をかぶせ、暴れるところを上から踏んづけると、村人も加わり、退治してしまった。
 化け猫がいなくなって、平穏が戻った毘沙門堂では、「すごい化け猫だった」と、春を告げる裸押し合い祭りで、踏み付けを再現し、魔よけの猫面を拵え、村人や参詣者に配ったそうな。猫面が、つぶれた顔になっているのは、踏みつけられたから、おしまい。》
 
 webサイト「新潟文化物語」などをアレンジしたが、以上が、猫面の由来。
 
 帰宅し、わが家の猫に、猫面を差し出したところ、鼻を突き出して、興味津々、猫面の匂いをかいでいた。猫の顔だというのは理解したようだ。
 
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 毘沙門堂には、こんな額があった。菊の御紋章つきの「聖徳太子」額。中世の僧侶たちは、聖徳太子を自分たちに関連づける説話をつくった。
 毘沙門天に関しては、仏教導入をすすめた聖徳太子が、物部守屋討伐の戦勝祈願したところ、四天王のうち、毘沙門天多聞天)が現れて、太子を加護したという説話が作られた。
 奈良・信貴山朝護孫子寺の伝承がその代表格。毘沙門天聖徳太子関連説話の、上越地方に残る典型が、この太子堂ということか。
  
 同行した人は、「ワッ聖徳太子。宝くじがあたりますように」と手を合わせていた。
 
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 なお、山門には、獏とおもわれる木鼻が。化け猫より、こちらの方がよっぽど恐ろしい形相だった。