戦前の「台湾小説」を読んで、日本が106度と気づく

 台湾で再評価されている画家の立石鉄臣さんについては、何度か触れてきたが、立石さんが装丁した戦前の植民地時代の「台湾本」を手に入れて読んでいる。
 
 濱田隼雄の小説「南方移民村」(昭和17年、海洋文化社)。立石さんが装丁した台湾本は、高価で取引されていて、やっと手に入れた安価なこの本は、函なし、カバーなしではあるが、灼熱の太陽とサトウキビを描いた版画の表紙、
 
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扉の版画、サトウキビ畑と水牛に乗った人物と、
 
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 海洋文化社とサインの「鉄」を刻した裏表紙と、
 
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いかにも、立石さんらしくて、満足している。
 
 小説は、濱田氏の代表作とされている。台湾・東海岸台東市から山間に20数㌔はいった移民村。荒蕪地でサトウキビを栽培する日本人移民の苦労を描いていて、読み応えがある。
 大暴風、暴れ川、マラリア、そして暑さー。「六月にはもう畑では百度を越し、村人は竹笠の下で滴る汗に眼をしょぼつかせ、犂を牽く水牛は水に焦れて動こうともしない黒い尻のあたりに、大虻がのほほんとへばりついてゐる」と、暑さを表現している。
 
百度」-台湾では、気温を華氏で表していたのだ。百度は、摂氏何度か。
 計算すると、華氏×9÷5-32=摂氏 だから、37.8度!
 今の日本の最高気温の方が上ではないか、とヘンな発見をした。四万十の41度は、華氏では、105.8度。ああ、いま、我々は百度の世界で耐えているのだった。
 
 
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 小説には、台湾の鳥もでてくる。
 《二月、関山あたりの高峰はまだ雪が白く光ってゐたが、村には時々台湾鶯の訪れがあった。台湾育ちで、ホーホケキョと一口に歯ぎれよくなどは決して啼かないやぶ鶯でも梅のたよりのない村では、唯一の春を告げるものだった≫
  
 便利な、avibaseで、しらべると、台湾に棲む≪台湾鶯≫は、「ニシウグイス」らしい。
 日本では珍しいが、ユーラシア、印度、シベリア、台湾、中国、朝鮮半島と、日本の周辺に生息している。
 声をきくと、日本の鶯に似ているが、ちょっと違う。訛のあるホーホケキョ。ホケキョケーとか、ホケキョケキョ といった感じで、思いがけない発見があった。