立石鉄臣画伯の周辺

描かれていたワーズワースの犬

英国ヴィクトリア朝を代表する動物画家がいて、湖水地方ヘルヴェリンの忠犬の絵を描いているのを知った。 その犬は意外にも、前回推定したテリアではなかった。 画家はエドウィン・ランドシーア(1802-1873)というロンドン生まれで、トラファルガ…

ワーズワースの忠犬に出くわした

英文学者の工藤好美さんを追いかけているうちに、英国ロマン主義文学のことも少し理解しないとならなくなった。 工藤さんは、昭和6年(1931)に「コウルリヂ研究」を上梓したが、コウルリッジはワーズワースの友人で知られるロマン主義の詩人。工藤さん…

新しき村を訪ねてみた

武者小路実篤の設立した「新しき村」は今どこにあるのか、調べてみると、知人の住む埼玉県日高のご近所の毛呂山町だった。 台風24号が来る前の日、息子の運転で村の中にある「武者小路実篤記念 新しい村美術館」を訪ねてみた。時計を後戻ししたような静か…

3-40年代台湾と白樺の残り香

古本屋で俳人の富安風生(1885-1979)の「霜晴」(昭和19年3月15日発行)を買って、家に帰って目を通すと、なんだか見てはいけないような本だった。 「温和な作風」で通り、芸術院会員にもなった俳人は、日本軍の真珠湾攻撃の句を先頭に、折々…

野良猫、野良犬と山頭火の交流

青空文庫で、俳人の種田山頭火の日記に目を通していくと、たくさんの心惹かれるものと出くわした。 例えば、犬と猫との逸話。1940年10月11日に松山市の一草庵で57歳の生涯を終える前に、犬と猫が「一草庵日記」に登場する。ともに、野良である。 …

古川敬さんの「山頭火の恋」

毎日、同じ通勤電車の同じ車両に決まって乗って来る男性会社員が、今日は顔を見かけなかった。なにかあったのか。あるいは、今朝がた大地震があった北海道の出身なのだろうか、と気になった。 山頭火と工藤好美さんのことを書いて後悔している。書く前に、古…

工藤好美さんと山頭火

分け入っても分け入っても青い山 笠にとんぼをとまらせてあるく 知人が放浪の俳人、種田山頭火を題材に短編映画を撮ったので、上映会に行ってきた。知人の来し方と山頭火の放浪人生を重ねていた。 山頭火については、自分なりにずっと気になっていたことがあ…

立石鉄臣さんの貝の絵を再現してみる

西永福の友達の歯科医に寄ってから、府中市美術館に出かけた。立石鉄臣さんの展覧会。豊富な立石さんの世界が展開されていて、すばらしい内容だった。 1930-40年代、台湾で装幀や挿絵を手掛けた本や雑誌が展示されていたが、女子高校生が熱心にメモを…

蝶の襖絵なんかのんびり見ている暇はないのだった

仕事で出かけた福岡県飯塚で、旧伊藤伝右衛門邸に寄ってみた。筑豊の炭鉱王の豪邸で、華族で歌人の柳原白蓮が妻として約10年暮らした時のよすがが残っている。 たたき上げの50歳の炭鉱王と、25歳の華族令嬢の結婚は、明治末年の大きな話題となったが、…

立石画伯と柳宗悦との出会いをおさらいした

前回記した戦後の座談会で、立石鉄臣画伯は、台湾を訪問した民芸運動家・柳宗悦のもたらした意味について、はっきり語っていた。 気になって、岩波文庫「柳宗悦 民藝紀行」(水尾比呂志編)をぱらぱらとめくって見ると、「台湾の民藝について」という文章に…

うれしい立石鐡臣展の知らせ

昨年5月、銀座の泰明画廊で画期的な「立石鐡臣展」が開かれて1年、また5月に府中市美術館で「立石鐡臣展―麗しき故郷『台湾』に捧ぐー」が開催される。5月21日から7月3日までと長期間なので、多くの人たちの目に触れる機会となる。なんだか、とてもうれしい。…

アオドウガネを3日だけ飼う

7月に入って、舗道で踏みつぶされた昆虫を多く見かける。昨日の朝は、カマキリ、コガネムシの無残な姿を見た。数日前は、舗道で1羽の雀に咥えられ、抵抗する小さなコガネムシを見た。一度はすり抜けたものの、雀もあきらめない。何度も突いては咥えようと…

雷の使いクワガタムシのこと

待望の立石鉄臣さんの展覧会がはじまった。仕事でバタバタしてまだいっていない。 夜、集英社の原色昆虫百科図鑑を開いて、立石さんの描いた細密画の昆虫たちをながめる。この昆虫図鑑は、画家のサインがちゃんとはいっている。立石さんは「tetu」のサインで…

戦前の「台湾小説」を読んで、日本が106度と気づく

台湾で再評価されている画家の立石鉄臣さんについては、何度か触れてきたが、立石さんが装丁した戦前の植民地時代の「台湾本」を手に入れて読んでいる。 濱田隼雄の小説「南方移民村」(昭和17年、海洋文化社)。立石さんが装丁した台湾本は、高価で取引さ…

立石鉄臣さんの挿絵探し

前に書いた、愛すべき画家・立石鉄臣さんは、こんな猫の挿絵を描いている。 「島崎藤村」(日本の詩 ほるぷ出版 1975)。藤村の「いろはがるた」の「ね 猫には手毬」の挿絵を描いたものだ。 一方で、この本の装丁は、得意の細密画。 バラエティに富んでい…

立石鉄臣さんへの勝手な思い

立石鉄臣画伯は、台湾生まれの「湾生」だったが、1913年に8歳で家族とともに帰国し、東京で育った。明治学院中等部卒業後、絵の道に進む。小石川にあった川端玉章の川端画学校で日本画を学び、油絵にも関心を持ち、岸田劉生、梅原龍三郎に学んでいる。 …

台湾の天狗の話の続き

立石鉄臣画伯が、1940年代、台湾で用いられた天狗の版画絵を、「民俗台湾」誌に模して、発表したことまで、書いた。 ちょっと、かわいらしく見えるが、台湾では、天狗は、邪神として人間に悪さをすると考えられた。家庭で不幸が起こると、天狗のせいとされ、…

台湾の天狗の版画を写した立石鉄臣さんのこと

台湾を初めて尋ねた時、台湾生まれの日本人画家、立石鉄臣さんの存在を知った。 立石さんらと植民地台湾で、青春時代を送った、台湾の考古学者宋文薫さんの文章でだった。 宋さんが、立石夫人の肖像画を大事に台北大学の研究室に飾っている話を「雄獅美術」…