駆け込み寺とキリシタン

 嵯峨野の天竜寺大方丈で、朝こんな、下がり藤の紋を見つけた。
 
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 なんだか、紋の上部にある三つ葉の葉柄が、十字架に見える。古いものではなさそうなので、紋を彫ったときにたまたま十字になったのかもしれない。
 
 寺と十字架―。この組み合わせで、ふと鎌倉・東慶寺のことを思いだした。
 
 駆け込み寺として有名な、この寺を舞台にした映画「駆け込み女と駆け出し男」(2015年)に、キリシタンのことが出てきたことだ。はじめは違和感を覚えたが、東慶寺には、キリシタンの遺宝が所蔵されていたのを思い出して、逆に感心したのだ。
 
 遺宝は、16世紀に作られた美しいキリシタン聖餅器。ミサなどで用いるイエスの聖体のパンを収めるための器で、蓋はイエズス会の紋章で飾られている。
 
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 東慶寺には、豊臣秀頼の娘天秀尼が千姫の養女として、1616年に入り、やがて住持となっているので、彼女のような姫さまが、持ち込んだと推測されてきたようだ。
 
 また、天秀尼の周囲に、「お岩」という侍女がいたことから、イエスの弟子ペテロと結びつけ、お岩がキリシタンだったという説があるという。ペテロは、「この岩の上に私の教会を建てよう」といったことから、イエスに「ケファ(岩、石)」と呼ばれていたとされる。そのペテロの名をもとに、入信した侍女が岩という名をつけたというのだ。この説が正しいならば、天秀尼もキリシタンと関わりがあったということになる。
 
 ある研究家は聖餅器を持てる人物は、聖体にまつわるミサを仕切る司祭しか考えられない。徳川時代に捕らえられたイエスズ会の宣教師を特定して、彼の聖餅器だったと推測している。(三上進「名品流転」)
 
 駆け込み寺とキリスト教とつながりは、まんざらでもないようなのだ。
 
 映画の原案に、キリシタンを匂わした内容があるのかと、井上ひさしの「東慶寺花だより」を読んでみたところ、人情話がほとんどで、いい小説ではあるが、映画のような視点は全くなかった。脚本を担当した原田眞人監督のアイディアだったようだ(15年の毎日コンクールで脚本賞)。
 
 駆け込み寺の東慶寺は、縁切寺とも言われる。
 キリシタンの寺が、南蛮寺と呼ばれたほか、エキレンジャ、えきれん寺と呼ばれていたのを新村出「南蛮更紗」で知った。ひょっとすると、エンキリデラもはじめは、エンキリジと、エキレンジと似た名で呼ばれていたのではないか、などとも想像してみた。