日本の騎馬文化の左右の感覚の変化について以前に触れたことがあって、古墳時代も戦国時代のように、当時の日本人は現在とは反対側の、馬の右側から騎乗したのではないか、と仮説を述べたことがある。
馬と馬子を描いた埴輪で、馬子の立ち位置が、馬の右側のケースが大半であることを証拠にあげた。世界の中での、左右の感覚の日本の特異性を示したかったのだ。
ところが、最近になって、1996年に日本馬の研究家の鈴木健夫さんが、6世紀の埴輪を鑑定し、馬の右側から騎乗していたことを「証明」していたのを知った。
埼玉県美里町の久保二号墳で出土した馬の埴輪の鞍の、右側下部に「張り出し」があり、そこを踏み台にして「右乗り」していた、というのだ。

前に述べた右乗りを伺わせる馬子の埴輪も6世紀。
「左乗り」のモンゴル系の騎馬民と、乗り方が逆となると、日本の騎馬文化のルーツは、モンゴル系民族のものということになる。